美しい靴
街なかで、雑踏で視線の先は、どうしても靴。
靴もふくめ身につけている、すべてが、それそれに生活のザマがある。
そして、行き交う人々から感じとれる属性から、その人たちの生き方の在処が推測できる。
だから生活によりそう靴が生き活きと見える。
す通りする靴屋のウインドウには、いちども足いれされない靴が麗々しく、とりすましてデスブレイされいているが・・・その靴からは何も見えてこない。
よく、いちども足いれされない靴は「靴ではない」といっている。
このコトが、履く人の足がなければつくらない、手づくり靴のつくり手の立位置なのである。
もう、街なかの靴屋 (既製靴) をのぞいたコトがない。
意識から消えている。
自らの足、自らの手・・・でつくる靴は、生活のリアル シューズ。
靴は、生活にとけこんで、履きこむほどに美しくなる。
手づくり靴のワークショップから生まれてくる靴には、市場(既製靴)の評価などはいりこむスキが無い。
自転車で通ってくるディヤーズ歴7年と1ヶ月の M・M さんの靴。7年間自らつくった靴で暮らしている。