今昔の感あり

ディヤーズに参加し、はじめての一足の作業台でくりひろげられるランドスケープは、挫折と不安が交差するが・・・それが時系とともに、手のはたらのすばらしさに安堵し、だんだん靴のカタチになってくると喜びがこみあげてくる。

ボクが「おにぎりがにぎれれば、靴はできる」といっているのも、暮らしは、手の内でつくる・・・というコトを身体にきざみこまれていくからである。

靴職人の大御所に「素人に靴がつくれるか」と一喝されれた32年前・・・

材料屋や道具屋で「これは、どうゆう使い方をするのか」聞くもんだから
「靴をつくっていて、こんなコトも知らないのか。二度とくるな」と門前払いをくった32年前・・・

靴メーカーのある社長から「手づくり靴のつくり手は、業界の落伍者」などと蔑まされた32年まえ・・・

 

「暮らしは自らの手でつくるコト」靴という「玄人技」を「素人技」の域にひろげ、おおくの人が自らの手で、暮らしの靴をつくるコトがあたりまえの時代を夢見てはじめ、この32年の時系を経て「素人でも靴はつくれる」と、きょう日、あたりまえのコトになり、東京の靴産地・浅草の材料屋、道具屋は、素人向業態にせざるをえなくなつてきたのをみると、今昔の感がひとしをである。

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靴技の技芸技能に自尊をかけて「素人に靴がつくれるか」と奢ってきた玄人筋は、今でも素人芸と侮って、こんなコトはいうはずがないが、ボクは、「手づくり靴は、不器用も才能のうち」といっている。

ディヤーズは、不器用だけに、味わいの深い靴になって行く。

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