ブロセスのたいせつさを読み取る

「モノコト」の生成は過程というものがある。

その過程を大勢の人でやりあげていくか、ひとりで、すべてやりあげていくか・・・

2つの極があるが、近代合理主義は、前者の方法をとり産業経済の資本基盤を構築して久しいが、その「モノコト」に関与する人が多ければ多いほど、昨今は、職責職能を倫理をもって真っ当しているはずがない・・・

と思わなければならない。

V W 問題、旭化成問題がたまたま顕在化しただけてで、多分、氷山の一角であろう。

目を転じて、ボクがかかわる靴に関していえば、この30年間、ことあるたびに、この国の既製靴業界の倫理観について問うてきた。

「足にあわない靴」をキーワードで検索すると、およそ400万件ヒットする。
今や靴による、足の変形、疾患は憂慮すべき一線をとうに越えている

この問題は、フォルクスワーゲンや旭化成と同列であり倫理の喪失を如実にあらわれている。

この現実を既製靴産業主体として、どのような改善具体策を組織的に提示してきたか・・・

戦後、靴が日常履きの生活になって60年、なんのアピールもアナウンスもいまだに届いたことがない。倫理不在の業界といわざるを得ない。

ボクが、手づくり靴に転向した原因は色々あるが、そのひとつが既製靴業界の倫理不在も原因の一つである。

倫理が問題化するのは、市場にでまわる生活具のモノコトの生産生成プロセスが遮断されて知るよしもないからである。

生活と生活具のブロセスは、できるだけ自らの手の働きを介在させて、ここが大事なトコロで、その生りたちのプロセス(過程)を体感することにある。

だから手づくり、ひとり仕事なのである。

モノコトの作成生成の全工程を・・・ひとりで掌握する。

手技はごまかしがきかない。

その人なりが出る。

企画設計どうりに寸分なく生産される既製品のプロセスと違い、自らの手でつくるプロセスは、粘土細工のように途中でいくらでも変えながら、よりいいモノコトにすることができる。



オバンカ、ミシンステッチ仕様にするはずが、途中から手縫いになりマットガードにする、ディヤーズ歴、4ヶ月の Y ・K さんのはじめての靴のブロセスである。

ディヤーズでの作成過程で、いくらでも手をいれることができる。そして手づくり靴は、けして、足に悪さをするような靴はつくらないとする技術の倫理 (何人も健やかに、幸せに暮らす) の筋目はとおしている。

そして、作成プロセスを手をとおして全智全能で体感することが、生活のリアルとなる。

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