老いの一徹

パノラマサイズで撮ると、手房が電車のごとく、左右が車窓に見え、前方向かって疾走するような催感を覚える。

手づくり靴の手房(ワークショップ)をはじめて32年目になるが、ここは6つ目の手房になる。

原宿の明治通りで立ち上げ、表参道ヒルズの裏手、北青山、元代々木は2度場所変え、この手房に至る。

希望の平地に、自ら敷いた軌道を疾走する左右の車窓にながれていく風景は、この仕事にはいっての、32年の履歴がしずかに流れていく。

考えるに、齢82にもなると、まちがいなく「終の手房」であるに違いない。

齢50で、人生80としてそれまでやってきた一人仕事(広告業界)ではもつまい・・・時まさに1982年バブル期前夜・昭和一桁生まれにとっては狂気としかおもえない、そんな時代を蹴飛ばし、背を向けてコツコツ自由自学で手づくり靴をはじめる。・・・なので靴づくりの先生、師匠という人はいない。

個々人の身体差異を技法としてどう組み入れて靴にするか、その思考のさきに手づくり靴のワークショップにいきつく。

自らの足で、

自らの靴を、

自らの手でつくる、

そくな時代の到来を夢みてはじめたムーブメントが、いまや全国、津々浦々に普及拡散し、数えきれない数の靴手房がある。

望みどおりで同慶のいたりだが、裾野がひろがるにつれて、あたりまえのコトだが「なぜ手づくり靴なのか」・・・その前提が見えなくなって、趣味技芸の子供じみた「お靴をつくるお教室」でのお習いゴトと、頭に「お」がつき靴の本質が風化していくのが、残念なのである。

体力はおちたが、いまや一人仕事の孤塁に立つ「終の手房」として、これ以上はのぞめない集まり場で、自ら敷いた軌道の先を、さらに新たな平地に向かって敷設するエネルギーは、ますます冴えているつもりである。

疾走する車窓の外を流れる時代の風景を、どのように変化させていけるか、老いの一徹ではないが、もう一踏んばするつもりである。

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