人なりがにじみでる

「人なりがにじみでる」いうよりも、今流にいえば、その人のライフスタイルとなるのだろうが、手づくり靴のつくり手をみていると自然のなりゆきのあらわれにみえ、やっぱり「人なりがにじみでる」といっほうが、おさまりがいい。

おなじ手づくり靴のつくり手でも作家然としたい人が「コンセプト」だの「ポリシー」などと宣うが、これは頭(脳)の所作で、手は頭では動かない。

「コンセブト」を連発する、あるブランドのシューデザイナーの女子に「コンセプトって、どういう意味でつかってるの」と問うてみたら「でっちあげの事でしょう」と即座に返ってきた。

よくわかってるなーと褒めてしまった。

商業域での「コンセプト」は、マーケティングの技法用語で量産する靴ならともかく、手づくり靴は、コンセプトワークではなく、リアルなライフワークにしなければ手でつくる意味がない。

靴作家然としたい人は、手づくりには馴染まない既存の量的マーケットの論理に添っていかなければなりたたない。ひとり手でつくの域をこえている。
その辺のコトがどうしてわからないのかなー・・・と思う。

ワークショップのディヤーズ歴 3年目でワニの赤バッジ、10年目で銀バッジを記念に贈るコトにしている。

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ディヤーズ歴11年3ヶ月の N ・Y さんの、10年目の銀バッジ進呈の記念ショットと靴のピックアップ。

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じっさいふつうの人が、自らの暮らしゴトの用具として、自ら履く靴を、自らの手でつくる靴のリアル(存在意義)は、でっちあげ(コンセプト)の靴など足元にもよりつけない強さがある。

このような靴を目にすると、手づくり靴のつくの手で作家然としている人の存在理由はどこにあるのだろうと・・・顕示欲の業をこえた域に手づくりの意味があると思うが。

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