エスペランサ学院休校で思うコト

この10年、靴づくりにとって無くてはならない道具 [ワニ] が、この国ではできなくなったコトは、業界の行き先を暗示する、象徴的な事件として、うけ止めていたが、さらに追いうちかけるように、日本に靴産業が誕生して150年の節目に当たる年に・・・エスペランサ靴学院休校となった。

この10年、道具の欠落、靴問屋、既製靴製造元の欠落、じわじわと靴業構造のドミノ現象のあおりで、私立靴職人専修機関のエスペランサ靴学院が、浅草での46年の幕をおろした。
この国の一般既製靴の靴技専修校は、1970年、日本で唯一の「製靴科」の公立職業訓練として東京都立城東職業能力開発センター 台東分校と、1973年の開校のエスペランサ靴学院の双璧の一角が消える。

靴技養成校としないで、靴技専修校と、あえて、いいかえるのは、もともと、量産システムの要員として分業職手の技(ワザ)を手につける職能訓練校であり、靴製造業と直結して生きる術(スベ)を具体的する合理があれば養成するといいきれるが、その意味では養成校としての存在理由はないからである。

私淑する経済学者・内橋克人が、自著「匠」のなかで・・・「匠はよりよく生きるコトのできない技術は、それを伝えてはならない」という一文があるが、深くうけとめなければならない。

なぜなら、よりよく生きるスベ(術)を具体するワザ(技)を技術という。
いみじくも、エスペランサ靴学院が「靴だけをつくる学校です」と規定していたが、靴技に限定してその靴技で、どう生きていくか、その術が欠落している。
かって台東分校の指導員に、この問いをただしたときに「わたしらは、靴をつくるコトを教えているのであって、仕事は業界の問題でしよう」と返ってきた。
いまでは、分業職手の職能訓練校としての存在理由がなくなり、靴足分一人でつくるコトの欲求に合わせて、メディアの「職人礼賛」の煽りにのって技芸技巧を評価する作品つくりを教科にして卒業作品展で幕にするが、その作品が生きる道筋をつける保証ではなく、養成校としては破綻しているといわざるをえない。
このような現状にたいして、製造業の中枢のひとりが「卒業生が、たった6人しかいなく、来賓のほうがおおかった」といっていたが、その事実に危機感もなく、次代を背負う世代にたいする業界の冷淡さは、どう解したらいいだろう。
この問題は、靴技専修校だけの問題ではなく、業界として対処しなければならない喫緊の問題であるはずだと思うが・・・
その製造元中枢に、6年前、靴技養成機関の再生ブランとして「新しいインキュベーション システム」を進言したコトがある。図はそのチャートである。

インキュベーションとは、創業、活動を支援するコトをいい、もともとの意味は、卵をかえす「孵化」という意味と養成を示唆した産学共同市場創設のブロジエクトである。

靴技養成は市場参入できるブランディング セクターと位置づけ
靴製造セクターと
市場セクターの3つを束ね、三位一体の横断的なシェア システムである。

このメソッドは、1973年、テスト マーケティングとして「moge」を冠したブランデイングで、既製靴市場に参入、業界のいうトコロの企画問屋の業態先達として、浅草の大手問屋を窮地に追いこんみ、一大勢力として席巻した事例にもとずく考えである。

なので養成校は、職人肌の作品づくりではなく、ブランディングのフレゼンテーションができる教科でなければならない。
いまや、靴職人というプロフエショナル スキルを良しとする狭量の時代ではない。
なぜなら、いわれているトコロのダイバーシティー(多様性)のコトだが、靴技の技芸技巧を競う資質に凝り固まる技量の時代ではなく、個の資質として多様なスキルを統合しなければ生き抜くコトはできない。

靴の現在位置は、トレンドにおもねる売れる売れないの市場評価ではなく、靴の身体化に収斂する技法の体系であり、社会とコンタクトできる、パプリック スキル、ソーシャルスキルでなければならない時代認識が、あらたな市場形成の要となるからである。
このコトをとおして、いかに生きるか、いかに生き抜くかの道筋をつけるのが、これからの靴技養成校のテーゼとなる。
休校を惜しみ、伝統保持とか、激励とかの感情論もわからないわけではないが、感情論ですませるわけにはいかないきびしい現実がある。
最後に「靴がつくれなければ何もはじまらないが、靴がつくれても何もはじまらない」・・・をつけくわえておこう。

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