「既製靴技と手づくり靴技は、似て非なるもの」この誤認が生き方の混迷を招く。

1部_「おにぎりがにぎれる人は、だれでも靴がつくれるのです」靴づくりを専門技にしないで普通技にする。
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2部_「靴がつくれなければ何もはじまらないが、靴がつくれても何もはじまらない」靴を介して、どう生きるのか。
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にひきつづき、
主題は「既製靴の技法と手づくり靴は、似て非なるもの」この誤認が生き方の混迷を招く。

既製靴と手づくり靴はも似て非なる技法・・・
既製靴と手づくり靴は、同じ靴でどこが違うの・・・よくいわれますが、既製靴の技法と手づくり靴の技法と仕事は、まったく違うコトを、知らなければなりません。
靴づくりの技法は、なんといっても既製靴が本流で、手づくり靴は、傍流とされていますから、ほとんどの人が既製靴技養校で学ぼうとしますが、繰り返しますが・・・
既製靴の技法と手づくり靴の技法と仕事の仕方は、まったくの方位がちがうのです。

既製靴は・・・
市場で流通する量産靴の技法で、既製靴製造過程は、分業ですから、靴足分つくる技量は必要で無く、分業職手としての職能があればいいのです。なのに、もともとは分業職手の訓練校だったのが、靴足分つくる教科にしなければ、人が集まらないので、その要望に合わせていますが、卒業しても、方や靴足分つくる仕事を求職しているのに、方や雇用側は分業職手をを求める、これほど思惑が違うにもかかわらず、既製靴養成校は、10年1日のごとく惰性でつづけているように見えます。
なので、靴産地・東京浅草には 公・私の2つの既製靴技養成校がありますが、その意味で養成校としての存在理由がなく、早かれ遅かれ、その意義を失うでしょう。

また受け皿の靴製造業もグローバルの波にのまれドンズマリで、新たに雇用する状況ではなく、既製靴技を手につけた卒業生は、願う仕事につけず、行き場が無い状態が、もう10年以上つづいています。
行き場を失った卒業生は、修理業には重宝されますが、願う仕事は、靴足分一人でつくるコトなので、靴作家工房をたちあげ、オーダーメイドと靴教室をはじめるので、今や飽和状態で、いよいよ淘汰はいるでしょう。
10人いると20の足があるといわれるように、2人として同じ足の人がいない、規定できない足を、規定に準じてつくる既製靴技法では、人の足のデータでつくる技法には対応ができないのです。
また、既製靴技の評価は、いかに技芸技巧に長けているかになりますから、自尊をかけて「どうだ」を競う靴をつくるようになります。この「競い」は靴の本質とは、なんのかかわりもないエゴにすぎません。

手づくり靴技は・・・
既製靴のように一律につくるのでは無く、履く人の足データに合わせて個別につくる技法で、オーダーメイドと、それぞれ、じぶん手でつくるセルフメイドのワークショップをたちあげるための技法になります。
既製靴技は、規定技法なので、履く人の足のコトについては、それほど学ぶ必要がありませんが、手づくり靴は、履く人の足のデータ(足の計測と足の性質)でつくりますから、足のコト、歩きのコトもシッカリ学ばなければなりません。
手づくり靴の評価は、靴は生活技なので、市場の評価とは無縁であり、履く人の足のフィッティング(静的評価)と歩きのバランス調整(動的評価)が十全で在るか、無いかになります。
また、靴の表象は、履く人が、じぶんのライフスタイルの感性と美意識の表象ですから、そこに市場評価で云々するのは、大きなお世話というものです。

靴の本質とは・・・
もっと大事なコトは、既製靴は分業ですから、指導する人は、それぞれの分業職手のキャリアですから、「靴の本質」とは何ぞや・・・とするロジック(靴が靴になるための本質、理法、その体系)について、まつたく知りません。このロジックの欠落が、靴技にかかわる誤認の、もっとも大きな問題なのです。
なぜなら、すべての技法は、その「本質」からたちあがるからです。市場の原理からたちあがる技法は、売り買いの方便でしかありません。
さらに大事なのは、「健やかに、幸せに生きる」を内化した技法でなければ、靴をつくる意味がないからです。
その意味で、靴を足分つくる仕事を生業にするなら、今や「靴の本質」を具体する手づくり靴技が、本流であり、既製靴技は、もはや傍流なのです。
この誤認が、つまるところ、ワニを片手に行き場を失い仕事がなく右往左往するが実状です。
市場の要請によりそい、量産過程での分業職手を望み既製靴養成校で、その技能を学ぶのか、
靴足分一人でつくる手づくりを生業にしたいのなら、生活する身体によりそう生活技としてワークショップをたちあげる技法を学ぶのか。
この2つの技法の、どちらの方位に踏み出すかは明らかで、選択の余地はないはずです。

靴教室とシューワークショップの誤認の問題・・・
靴教室を立ち上げるのは、行き場失った既製靴技養成校生が多く、先生(靴職人)と生徒の一方向の関係で「お靴をつくる、お教室での、お習いゴト」になり、靴だけをつくり作品として評価します。ですから、じふんが学んだ教科をそのまま移行して行うコトになります。

ワークショッブは、参加する人が思い通りの作業できる環境をととのえた場で、生活具としてなくてはならない靴づくりを介して、人の身体との向き合い、体験をとおして学ぶ、老若男女(ろうにゃくなんにょ)、だれでもできる「参加型・体験型の学習の場」です。
通常では、出会えなかったた多様な人たちと交流しなから、それぞれが抱えている足と靴との疑問点などを話ながら、解を共有するコトで一体感が生まれ、自然に生活のコミュニティーになっていきます。
トレーニングの手法は、先生と生徒のかかわりではなく「いっしょにつくろう」というかかわりになり、靴職人ではなく、靴のつくり手として参加し、ファシリテーターの役割を担う立ち位となります。
とかく手づくり靴技は、一人仕事なので「活私共生」の仕組みを、じぶんでつくる自律性がなければなりません。
ワークショッブとは・・・
「ワークショップ」は1979年に、はじめて日本に紹介された仕組みで、まだ、耳慣れない1983年にシュー ワークショップ・mogeをたちあげ36年の歳月がたちました。
サンデースタディーズ・mogeの詳しい内容はココ



化学物質の環境汚染を告発した[沈黙の春]と[センス・オブ・ワンダー]の著者レイチェル・カーソンの言葉ですが・・・
「知る」コトは「感じる」コトの半分も重要ではない。
この言葉のように、感じたコトから、コトをはじめてみよう。
靴をつくる[集まり]に[参加]し身体と意識で感じとる[体験]をとおし、自分の生きカタチをつかんでいく。
ワークショップはそういうトコロだと思います。
ですからワークショップは単に仕事場、作業場、工房と云った枠にとどまらず、この[場]を介にして・・・
人と人とが出会い、
かかわりを豊かにし、
自然をとりもどし、
社会のかかわりを問いながら、
手で足と靴の良いかかわりが [感]じとれたら、
いいなーと思っています。
あらたなスキルを手につけるのは、より良い生き方を希求するからですね。
そして、生きるだけではなく、いかに生きのびるか、サステイナブル(持続可能)なスキルでなくてはなりません。
その意味でも既製靴技か手づくり靴技か、どちらが持続可能なスキルとなるでしょう。
シュー ワークショップ・mogeは、この国ではじめて、靴職人を養成するのではなく、出自から靴を普通技としてワークショップをたちあげるライフスキルを手につけるコトに専心してきたので、数ある養成校のなかで、いちばん自立独立した手房をたちあげた人が、いちばん多いと評価されています。

マイペースでゆったり学ぶ・・・
ほとんどの靴技専門校は、全日制で、1、2年の期間限定校ですが、勤務が週5日制になったので土日の休日を活かして、靴づくりが仕事にできる技法を、マイペースでゆったり学(生涯学習)ぶ、そんなフリースクールがサンデー スタデーズ・moge塾です。

意図は、もう一つのスキルを手につけて、より豊かな人生をもつコトにあり、いくいくは、土日曜日を活かして、兼業、副業としてのワークショップをバラレル スキルとして生涯つづけていく、そんな「場」がシューワークショッブ・mogeの生き方であり、この生き方が持続可能性を、実証している実験手づくり手房でもあります。

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