ワーカーズきたる、好日かな。

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1月のある寒い日、細入まどか ( ワーカーズ11期・hosoiri works_http://www.hosoiriworks.com/ )さんが監修上梓した、「大人可愛いレザークラフトBOOK」といつしょに訪ねてくれた。
ワーカーズに在席していたのは1999年だから、もう18年前になる。
いつも引合いにだすコトだが、つくり手とつかい手がいっしょ・・・いまから30年まえ「プロシューマー」という造語で予見したのは、1980年に出版した未来学者のアルビン・トフラーの著書『第三の波』であった。暮らしで、どのくらい手をかけているか、自らの手で暮らしをつくる DIY LIFEは、もう、これからの生活( 生きぬく )のフィロソフィーといっても、いい過ぎではないだろう。
モゲ ワークショップは、1983年にたちあげいるは、『第三の波』の影響下にあるのはいうまでもない。
手づくりに欠かせないのは、難し技法で自尊する専門領域であってはならない。できるだけファシリティー(容易、やさしい)でなければならない。
だから専門技を手わたす先生と生徒のかかわりではなく、ワークショップは、、参加する人に主体性をもたせ、客観的な立場から適切に調整する役割をになう。だから、その役割をファシリテーターという所以である。
よく、目にする靴教室で「生徒の作品」とするトコロとワークショップとは一線をひかなければならない。
「大人可愛いレザークラフトBOOK」は、その意味で、手づくりを暮らしで身近なモノコトにする時の間のステキをプレゼントしている。
それぞれ、モゲ ワークショップを通過、さらに、こんどは自らの思いをかさねて、自らの世界をつくっていく。頼もしいかな。

いままで、知ってるかぎりだが・・・モゲ ワークショッブを通過していつた人が、かかわったBOOKをあわせて紹介しておこう。
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「大人可愛いレザークラフトBOOK」・細入まどか
ワニ ブックス ?1800+税

 

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「サンダルとスリッパ」
スタジオ タック クリエイティブ ?2500+税
かかわった6人の内、5人がモゲ ワークシヨップを通過していった人たち、モゲ ワークショップの自費出版みたい

 

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「ルームシューズの本」・坂内鏡子
文化出版 ?1300+税

 

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「小さな教室、はじめました」
翔泳社 ?1380+税
靴工房 nico・田村園子 金尾美紀、カパーは靴工房 nico のショット

 

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「湘南アトリエ散歩・ものづくりに会いに行く」久野安広著
ダイヤモンド社 ?1200+税
尼子靴工房 の尼子恵己がとりあげられている
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Arno
アルネ22 大橋歩 ?525
特集「勝見茂のモゲワークショップを訪問」

 

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こんなライフスタイルがあった
「はたらき方の革命」浜野安宏著
PHP研究所 ?1400+税
「知るコトは、感じるコトの半分も重要ではない」レイチェル カーソン、コンセプト創造の頭脳を「手」に変えて、はたらく。
マーケティング、広告の仕事から靴のつくり手になり、モゲさんは多くの人に生き活きとした「はたらき方」を説く。
真っ先に会いにいこうと思ったのが勝見だった・・・

浜野安宏とは、まだ彼が日大の芸術学部の映画科の学生の頃だから、もう50年になる。当時(30才)原宿のセントラルアバートで広告制作会社「レマン」(フランス語で手の意味)をたちあげた頃で、彼の著書「若者株式会社」にその当時の模様を活写しいる。その中で「レマンとの出会いで、ボクのワークベースができた」と記してある。
ボクのワークベースは、一貫してひとりシゴトで「いかに生きぬくか」につきる、そうして今日まできた。
この著のなかて、スタイリストの高橋靖子もとりあげられている。高橋靖子は当時「レマン」のコビーライターであった。
もう一人、加えると「同棲時代」一世風靡した上村一夫は「レマン」のチーフデザイナーであった。ボクは広告の世界にはいる前の21才から35才までマンガ家でもあった。上村一夫をマンガの世界にひきずり込んだのはボクだと思っている。

 

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その歴史とクリエイティブな魅力
「青山文化研究」井口典夫・編著
宣伝会議  ?2000+税
青山・原宿エリアが、いかにして高感度な文化環境化なったか、その歴史を青山学院総合文化政策学部教授・井口典夫が編纂。その編著のp71に、まだひっそりとして人が集まる場がなかった、50年前「レマン」が毎週催事したパーティーが表参道随一の人があつまる創造の場として機能していたと記している。
そのパーテーの世話役が高橋靖子、パーテー集まる写真家の世話やきをしているうちに、自然にスタイリストの道筋を拓き、草分け的存在になった。またその人柄が慕われ、だれがいうともなく「原宿のヤッコさん」といわれるようになった。
ボクが好きなヤッコさんの愛称は「原宿の女村長さん」。本人は知らない。
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2017/0205 pm4:00

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