曽田耕をとおして見えてくるコトガラ

一日、いくどかデスクのバネルにあるビッナップに目をやる。

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ご覧のとおり、いかにも疲れきった労務者の「作業着の皺」である。
いずれも、その皺は「生きる」の痕跡が目にしみる。
その「皺」には幻想のはいりこむスキのない強烈なリアリティーを感じとる。
そして、このピッナップを見るたびに、なぜか「ホット」する。

「皺」の対極はなにか、思惑をはると、多分パリパリの「張り」にいくつくはずである。
類似する語彙に、「ハレとケ」があり、「タてとヨコ」があり、くだけて云えば
「メインストリートとアレィ(路地)」、犬はメインストリートが大好きだが、猫はメインストリートは大嫌い、ただ横切るだけで、すぐ路地の逃げこむ。

何が云いたいか、「張り」はプラス志向の表象であり、「皺」はマイナス志向の表象。
それは自らの「立ち位置」が「正」の側か「負」の側か、いずれの価値づけに在るのか、というコトである。

いずれが、良い悪いといっているでは無く、文化文明の進展は「正」「負」のタテ、ヨコが織りなす綾のはずである。

ピッナップを見て「ホット」するのは、ボクはまぎれもまく「負」の側に在る。そして、その立ち位置から、自ら「生きる」を志向してきたつもりである。

(ついでに云えば、ボクは犬派でなく猫派、犬は嫌いで猫が好き)。

しかし世辞としては、「皺」より「張り」を良しとする。
「張り」の劣化が「皺」で負のイメージがつきまとう。
「張り」は多様性を排し、正統、究極、ただひとつの「正」を希求するが (至芸といわれている手縫い革底の技法がそれ)、「皺」は負ゆえに寛容、そして、多様性を生みだし、ひきだしていく。
ボク出自は、靴づくりは、靴を介し(仕事)、いかに負の域に在りながら「個」が「自由」になりえるかを問題にしてきた。
いいかえれば自由にふるまうには、「正」の秩序に統合されるのでなく、「正」の系統からスビンアウトして「負」の立ち位置から、もつと自由にふるまえる仕組みに組み替えていくコトにあった。
だから靴づくりをワークシヨツプの仕組みに与して、負の域に在るなに人も、いかによく「生きる」か、「生きられるか」を希求してきた。

靴の「正」の領域からうける判決は「あの素人」が・・となる。
そのとおりである。
素人、結構、ボクは靴の先生もいなければ師匠筋もない、悠々、自遊自学でやりあげてきた。いまだ、靴職人になりたいなどと、いちども思ったコトがない。
その素人が、次世代へ、ワークシヨップを提示し現行、拡散する靴教室の道筋をつけたのである。

つまり、「自由」とは、力の統合に集約される生き方でなく、個の単位に分散する生き方の選択であった。

ボクは、「皺」にみる、きざみこまれた生活の実相、人の生き営みの多様な起伏の質感に魅入る美意識を評価したいのであって、ここには、これみよがしな「張り」は通用しない。

なぜなら「張り」は完結する帰着点を希求してやまないが、「皺」は生活の実相の起状のあらわれで、とどまることのない過程の表象だから、そこには生き活きとした情感をよみとるコトができる。

それがうれしいのである。

 

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2015年の暮れに発刊された「暮らしの手帖」79号に曽田耕の住まいであり仕事場が「全体が工作のような」のくくりでとりあげられている。長々と「皺」についての考察は、曽田耕の「100 shoes」の前振りである。

廃墟のような鉄工所を、自前で改装しつづけている過程が克明につづられている。
耕さんとは、もう20年くらい前になるが、原宿の路地裏、キャットストリートの地べたで靴づくりをしているときの出会いである。
ボクにとって曽田耕は、手づくり靴の盟友である。

その曽田耕が2020年5月30日から6月1日まで、上記の仕事場・SODA STUDI0で「100 shoes」の展示即売展がある。
4年に一度は、うるう年。
3年に一度は、参院選
2年に一度が、100 shoesです。
と添え書きがある。
住所はね東京都墨田区東駒形2-3-11。
www.sodako.com/

市場をとおす靴を商品としてつくる靴とちがい、「100 shoes」は、曽田耕の「生」身体をとおした生のアイデンティティとしての表象、彼ならでのパーソナリティ、
の表出となり、住まい、仕事場、靴が、なんの齟齬まなく、まさしく曽田耕の生身にきざまれた表皮の「皺」展と云える。
手づくり靴をつくるコトとは、このコトなのである。

曽田耕と同じ道筋に・・・

ボクは、もう2年まえに24期で終止してしまったが、ワーカーズと云う「ワークショツブ」をたちあげるカリキュラムを通過していく人たちに「自分ならではの靴をみつけなさい」と云ってきたが、その中のひとりワーカーズ5期生の大平由紀子 (シューラボ・Y・0 )が、「そだてるシューズ」と銘して、木型をつかわないで、2日あまりで履く人の足でつくるインステッチとアウトステッチをほどこした靴を自らのモノとし、その靴で暮らしている。大平由紀子も靴職人になりたいなどと思わないひとりである。

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モゲ ワークショップにはディヤーズ(靴を仕事にするコトではなく、自らの暮らし向きの靴でつくる)コミュニティがあるが、そのディヤーズ歴まる7年の有我淳子の靴を合わせて紹介しよう。

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ディヤーズ (素人) の面々が、靴の本質をわきまぇ、生活具として必然の靴技をわきまえ、そこには、個有の「生きかたち」の感性、美意識がある。
33年前、「正」の域に在る靴職人の大御所に「おまえはバカか、素人に靴ができるわけネーだろう」と一喝されたされたが、その素人が、「靴の本質」にいちばんちかいトコロにいる。
みるトコロ、自ら仕事をつくり生きる「一人仕事=小商い」が今、若い人のあいだで広がっている。「集団主義」としての統合からはなれ、「個主義」の単位に分散していく生き方、モゲワークショツブは、33年前にふみだしたが、今、やっと時代がよりそってきた。

2016/0605 pm 5:00 手房にて

 

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