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2015/ Nov _ 01

 ブロセスのたいせつさを読み取る

「モノコト」の生成は過程というものがある。

その過程を大勢の人でやりあげていくか、

ひとりで、すべてやりあげていくか・・・

2つの極があるが、近代合理主義は、前者の方法をとり産業経済の資本

基盤を構築して久しいが、その「モノコト」に関与する人が多ければ多い

ほど、昨今は、職責職能を倫理をもって真っ当しているはずがない・・・

と思わなければならない。

V W 問題、旭化成問題がたまたま顕在化しただけてで、多分、氷山の一

角であろう。

目を転じて、ボクがかかわる靴に関していえば、この30年間、ことあるた

びに、この国の既製靴業界の倫理観について問うてきた。

「足にあわない靴」をキーワードで検索すると、およそ400万件ヒットす

る。今や靴による、足の変形、疾患は憂慮すべき一線をとうに越えている

この問題は、フォルクスワーゲンや旭化成と同列であり倫理の喪失を如実

にあらわれている。

この現実を既製靴産業主体として、どのような改善具体策を組織的に提示

してきたか・・・

戦後、靴が日常履きの生活になって60年、なんのアピールもアナウンスも

いまだに届いたことがない。倫理不在の業界といわざるを得ない。

ボクが、手づくり靴に転向した原因は色々あるが、そのひとつが既製靴業

界の倫理不在も原因の一つである。

倫理が問題化するのは、市場にでまわる生活具のモノコトの生産生成プロ

セスが遮断されて知るよしもないからである。

生活と生活具のブロセスは、できるだけ自らの手の働きを介在させて、こ

こが大事なトコロで、その生りたちのプロセス(過程)を体感することにあ

る。

だから手づくり、ひとり仕事なのである。

モノコトの作成生成の全工程を・・・

ひとりで掌握する。

手技はごまかしがきかない。

その人なりが出る。

企画設計どうりに寸分なく生産される既製品のプロセスと違い、自らの手

でつくるプロセスは、粘土細工のように途中でいくらでも変えながら、よ

りいいモノコトにすることができる。

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オバンカ、ミシンステッチ仕様にするはずが、途中から手縫いになりマッ

トガードにする、ディヤーズ歴、4ヶ月の Y ・K さんのはじめての靴のブ

ロセスである。

ディヤーズでの作成過程で、いくらでも手をいれることができる。そして

手づくり靴は、けして、足に悪さをするような靴はつくらないとする技術

の倫理 (何人も健やかに、幸せに暮らす) の筋目はとおしている。

そして、作成プロセスを手をとおして全智全能で体感することが、生活の

リアルとなる。

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2015/1101 pm 6:00

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