2010/ Jun _ 28

33年ぶりの復刻Tシャツ

あなたの靴にたいする思い想いは・・・と問われ、つくる心得を言葉でつたえること

のできない手づくり靴のつくり手を認めることができない。

きびしい問いだが、既製靴のような市場にたいする姿勢ではなく、手づくり靴はつく

り手の [暮らす] [生きる] の姿勢が優先するからである。

ボクが靴とかかわり、自分の手で靴をつくるまでの現時の立ち位置 ( ワークショップ )

に身をおくまでに、およそ40年の歳月をかけたわけだが、一貫して底流しているの

は、ひとことで言うと duck Inferiority complex (ズック コンプレックス) である。

別に言い方だとスニーカー コンプレックスといってもいい。

当時のゴム履物の企業は、革底のドレスシューズにたいするインフェリオリティ コン

プレックス (革底靴を至上とする劣等意識) から海外の高級革底靴のブランドと提携

しこの分野にも市場参入していた。当今はそんな馬鹿げたことはしていないが、商品

構成上、網羅的に革底靴がなければ靴製造元としてカッコつかないとでも思っていた

に違いない。

むしろ革底靴企業こそ、靴の行く末を考えるとスニーカー コンプレックスをもたな

くてはならないと当時から、言い続けていた。

革底靴は、上質、高級、高額、底づけ技法で格差をつけるドレスアップ指向を上位に

いわばタテの価値体系にくみこまれる靴を [ 強者 ] の論理として、今でも踏襲してい

るが、この手の靴を倫理規範とする風潮にたいし、なぜ 「否」 をつきつけてきたか

その理由は

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思えば、衣服のなりたちから論ずるなら1950年半ば頃までは [ オートクチュール ]

のドレスアップが主流で、この国で君臨していたのが、今や忘れられているドレスメ

ーカー学院 ( 通称ドレメ )であった。文化服装学院 ( 通称ブンカ) はまだ職能機関で

ブンカをドレメの連中は「新宿の山猿」と言って蔑んでいた。

既製服にまだいいものがなかった頃、ドレメを看板にした洋裁店 ( 仕立て屋) が全国

津々浦々にあって、好みの生地を洋裁店にもちこんで、現存する服装雑誌、ブンカの

「装苑」、廃刊になっていると思うがドレメの「ドレスメーキング」は洋裁店向けの

型紙つきスタイルブックで、今年の流行スするスタイルは [ Aライン ] とか [ Hラ

イン ] とオートクチュール の御託が上位下達となって下々を支配していた時代であ

った。

つまり何を言いたいかというとドレスアップ志向が社会の倫理規範として時代を律す

る先達の意のままに頭をおさえられて生きるわけにはいかない次世代は、より自由に

生きる新たな平地を切り拓き踏み出さなければ、自由闊達に自ら生きる道はない。

つまり1960~70年代にかけて既存のドレスアツプに包含される体制支配に抗して台

頭するヒッピー文化の影響もあって、サブカルチャーはカウンターカルチャー(対抗

文化) などと言われた潮流は一気に [カジュアル] のキーワードを得てドレスアップか

らドレスダウンへ雪崩をうって傾斜していく。

この流れのなかで新世代は装いごとからリアルクローズを希求、パリのプレタポルテ

へとつながつていく。

1960年代、現時からみると信じられないことだが、Tシャツ、タンクトップを旧世代

は「近頃の若者は下着で街を歩きケシカラン」とか、「学校の上履きで外を歩くとは

ケシカラン」とか、女性のパンツルックを「女だてらにケシカラン」などとメデアも

一緒になって批判の大合唱するが、より自由なドレスダウンへの傾斜は、何人も抗す

ることのできない時代の趨勢ととらえなければならない。

気のとおくなるほどの時をかけて手中にしてきた自由 ( =ドレスダウン) を、きょう

日、衣服の規範がどんどん保守化して、チャラチャラしたドレスアップ志向す世相は

歴史の逆行であり相容れなることができない。

ドレスアップの世界で君臨していたドレスメーカー学院が凋落して、ドレスダウンの

新たな旗手文化服装学院の台頭は、歴史的必然である。

ご存知だろうか、かってドレススーツを着用する成人男子の年間購入着数が多いほど

その国の自由度は低いという統計があって、先進国ほど着数が少ない。まさに現時、

この国の街なかで目にするドレススーツ組の多さとロングノーズの奇異さは異常であ

る。

まだカジュアルというキーワードが無く、リゾートとかスポーツウェアと言っていた

1963年、はたして受けれ入れられるかカジュアル時代の幕を切って、当時まだ無名

であったコシノジュンコと組んで実験販売を試み大成功したのも、時代確認した実査

として懐かしい思い出である。

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横道におおきくそれたが、 duck Inferiority complex (ズック コンプレックス) と

した情念、言いかえると「布帛または帆布にたいする渇望」はドレスアップ志向のタ

テ価値体系には組しないというメッセージである。

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その延長線上に1977年、A靴チェーン店が ギンザに進出にあたり注目に価するトッ

ピツクが欲しいと言われ請けおったのが [アム スポーツ フットウェア] であった。

当時スポーツシューズは、それぞれの競技専用の用具であり、スポーツ専門店が占有

エリアで、タウン履きの一般靴専門店では取り扱うことのできない時代であった。

1977年は、日本ゴムが「NIKE」商標のプロアスレティックシューズの国内生産・販

売に関する契約をした年で、時代の趨勢としてこの手の履物は、いずれ若者の主要な

履ものになる、スポーツ市場と一般靴市場とどちらか大きいか、いずれは参入しなけ

ればならないはずと説き伏せ、是非取引したいと申しでるが、たが一般靴資本との取

引はしないとけんもほろろ「いくら抵抗しても、あなたは6ヶ月以内に、ボクに頭を

さげにきますョ」と言って席をけった。

その 「NIKE」が、スポーツ市場側との確執をしりぞけ 4ヶ月目に頭をさげてきた。

その [アム スポーツ フットウェア] のオープーン一周年記念に配布したのがこの T

シャツである。1978年のメンズクラブの別冊の表3広告の上段に列挙されているブ

ランドをご覧あれ・・・

Adidas、Puma、Asics-Tiger、Pro-Keds、Nike、Lotto、Convers、Brooks、Head、Addax、Top-Sider、Bata、Vans。

他の有名ブランドもその後雪崩をうって取引に応じてくる。

この手のショップは、今や全国的に網羅されているが、今から33年前に今日を予見

し、この国ではしめての業態を創り得たのも、一重にドレスアップの価値体系には組

しない姿勢が時代を見据えることになる。

1973年、浅草の大手問屋を凌駕する一大勢力になる一人企画問屋 (小規模) の先鞭を

つけ、1983年ワークショップの草分けとなり手づくり靴の新たな生き方を拓く道筋

を見据え実践できたのもドレスダウンを阻む勢力にたいする息苦しさに怒のエネル

ギーをぶつけるのも、縫い革底技法を靴の至上技法とつくり手だけがが騒宣すること

に批判するのも、時代を切り拓くのは、メインカルチャーに抗する「負」の情念であ

ると思っているからである。

3

その記念すべきTシャツを33年ぶりに復刻してみた。イラストは「靴で喰ってます」

とモゲをカリカチユアライズしたものである。

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06/28 am 07:00

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