2010/ Jun _ 06

靴をどう評価するか/ 普遍をもとめる

今、働き方について相当な量のコンテンツが飛び交っているが、経済の低落か

らくる雇用激減というきびしい現実が引き金になっているだけだろうか。

それもあるが、こうゆう風に映らないだろうか。

既存の制度疲弊、既存の仕組みの機能不全、このような閉塞状況を突き破る

新たな生きる力をもとめる模索の様々が、

新たな「変革」をもとめる切実な願いが、

呼応しているのだと・・・

その証に、当ワークショップを取材する側の意図を聞くと、みな一様になかな

りの精度で、ここは、これから希求する働きの方の新しい形を具現していると

返ってくる。

事件と大げさに言うが・・・

メジャー大資本系の牙城というべき「日本経済新聞」の大判グラフィック紙

「THE NIKKEI MAGAZINE」に、とるにたらないマイナーである手業の生き

方がとりあげられたこと。

nikkei

いわばこの國の経済情報の動向を掌る日本経済新聞(日経)と会社の書類しか読まないと言われるれるメジャー系大会社の社長さんが、このような目をこらしてもよく輪郭わからないマイナー系の動向に目がいくだろうか・・・と思うが、新聞半裁2つ折りの大型グラフィック誌「THE NIKKEI MAGAZINE」という、今どき本紙が300万、付録が110万部も発行されているのも驚きだが、6月21日付け付録73号に「大人の寺子屋」と題してモゲワークショップが紹介されている。

現時の激変する経済のどん底のなかで、疲弊した既存市場から巨大マンモスが生存をかけて、あらたな地平へ脱出する手がかりを血眼になつて探しをしているように感じられる。

図体が大きい集団の仕組みだけに大変だろうなと思うが、何があつても経済の悪しき流れに乗のらないためには、危うい集団主義から個主義に、さらに小さな身体部位である手を働かせ、手に任せ、掌に収まる仕組みで、身体の温もりが手のとどく人の間で、小さく小さく共生の思いをつたえる一人仕事で責を負う。

この責 = 倫理をもって職責職能をまっとうする生き方が共感のコアであり、いかに小さく、小さく生きるかだと思っている。
責任の取りようのない会社本意主義で、儲けるためなら何でもありの希薄な倫理観しかもちようのない、頭だけのコンセプシャルワークで構築する仕組みなどは、どう逆立ちしても立ち入ることのできない領域に在ること。

何があろうと、ちょっとやさっとのことで右往左往することのない不動のポジションでなければならない。

モゲワークショプは一見マイナーよりだが、それでもメジャーを凌駕する、自律自在に生きる仕組みを創発し実践する、新しいはたらき方を、「マイジャー」と言いかえるが、とにかく鮮烈な思念が次代の方位を先拓していくのは間違いないと信じている。
そのように生きてきたつもりである。コメントで気にいったのは「寺子屋」で括ってくれたこと、なぜって、藩が指導する藩学とか藩校と言われるエリート養成の塾的寺子屋でなく庶民の手習い処的な感じの流れにモゲワークシヨツプが在ることを願っている。

また「はたらき方の革命・こんなライフスタイルがあつた」虚構の経済が崩壊

したこの時代に新しい価値観で「はたらく」16人をインタビュー、はたらくこ

との本質を探る・・・と題した(浜野安宏著 / PHP研究所)の巻頭に取り上げら

れたこと。

2 1


この本にも登場するヘアー スタイリスト・茂木正行さんが手がける「+ing・

issue35」誌の103ページに掲載されている浜野安宏さんのエッセイの一部を

割愛させていただくが・・・

3

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「手は外なる脳、手をはたらかしていけば手が導いてくれる。

『はたらき方の革命』に登場いただいた勝見茂さんは、この言葉を心に留め、

50で靴づくりの道に入った。勝見さんは日本の マーケティング・ビジネスの

草分け的存在で、理詰めで企業や消費者を説得する知的な現場の最先端で活躍

していた人だつた。そのすべてを捨てて自分の「手」の先ある生き方を選んだ

のだ。

勝見さんたちがつくった広告制作会社レマンという名前で、これはフランス語

で「手」の複数形を意味する。

「自由で気持ちのいい生き方っていうのは、結局、自分の手じゃないかな、手

に頼らなきゃなんないんじゃないかな」と勝見さんは言う。

彼のウェブサイトのトップページには自分の手の写真が写しだされる。

手の実感、手の復権。

それには人々のはたらき方に大きな変革をもたらすはずだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「自らの思だけでなく、だれにとってもそのように思うであろうし、なぜその

ように思うかセオリーとしてだれにでもわかるような仕方で論証しなければな

らない」・・・と先に述べたが、この筋道にそって考えていくと、とどのつま

りは専門化することではなく、かぎりなく普遍をもとめる普遍性にかんがみ手

思手考をすすめなければ広域に人々とかかわることができないと思いません

か。

頭脳は余計なことをつくりだすが、手に思いをたくすと余計なことをする間が

なくなるから、余計をそぎおとし、より普遍に迫ることができるのだと思って

いる。

そうして27年まえに、文字通りすべてをすてて、手にたくす働きの普遍をもと

めて今日にいたっている。

靴をつくる技法、靴を介して生きる技術。靴の評価はこのように靴物体の技法

に留まっているいるほど先がない。今まさに、この国の靴製造業態は阿鼻叫喚

消滅点に向かって疾走しているという事態なのに、靴技専修機関もなお旧態然

としていられる脳天気には、ほどほど愛想がつきる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
06/06 am 01: 00

カテゴリー:日々考日 | Edit