2010/ Jun _ 04

靴をどう評価するか/本意と本義

シューデザイナーが企画する靴と手づくり靴のどちらが、靴の本意、本義にか

なっているかは言うまでもないだろう。

その前に靴の本意、本義を質さなければならないが(このようなことを発するの

は、手づくの靴の側であって、シューデザイナーが企画する靴の側からは決し

て出てこない)・・・そんなことを一々言っていたのでは既製靴の所為はなりた

たなくなるからである。

あらためて靴の本意、本義を質さなければならないが、今まで事あるたびに述

べているので省くが・・・

既製靴のつくり手は「このような靴をつくりました」といい、

手づくり靴は「このよな靴になりました」という。

既製靴は靴をデザイン「型」するのが習いであって、手づくり靴は靴を「形」

にするのが習いとなる。

よく言う喩えだが、足ふみロクロに粘土をおいて、掌と指先を触手にして生ま

れでる器を、だれでも「いい形ですね」と言い「いい型(デザイン)すね」とは

言わないように、だれもが形と型の違いを知っている。

型にする所作は、とにかく量産する仕組みである。つまりコンセプト ワークだ

から「このような靴をつくりました」となる。

型(デザイン)をつくるには、量産分業ゆえの作業のためにコンセプト(取り決

め)による作為の管理、統合とい概念をもちこまぜるを得ないが、それが使う側

の所作にまで介入してくる。

このデザインの服は、このような着方しかできません・・・と言えばわかりや

すい。

コンセプトって「でっちあげ」のことでしょう・・・とさりげなく言いはなっ

たシューデザイナーがいたが、マーケティング用語としてのコンセプトメーキ

ングを言いあてていて妙、笑える。

手の所作は、このデザインのコンセプト ワークを相容れない立ち位置にある。

手づくり靴は、足分一人作業となり、つくる過程でのゆれる思いを形にするの

で「このよな靴になりました」となる、なりゆきまかせが自然体である。

「足思手考」は器のつくる人の言葉だが、手づくり靴にとってもステキな言葉

である。

新しいワークシヨップには「足思手考・・・ゆえに吾あり」とするわけがこれ

である。

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既製靴とコンシューマー(つくる人と使う人が別々)のあいだに「市場」という

幻想の物・語にふりまわされるが、手づくり靴とプロシューマー(つくる人と使

う人が同じ)のあいだには「暮らし」というリアルの事・語りしかない。

既製靴は手づくり靴を評価しないだろうし、手づくり靴は既製靴を評価するに

あたらないと思っている。

ここに靴とはなにか、靴はなにをしなければならないか、靴の本意、本義をあ

いまいに放置し、既製靴技だけを本道とする靴職人の先達の罪は重い。

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06/04 am 05:00

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