2010/ Jun _ 01

靴をどう評価するか/ 技法と技術について

よく考えてみなければならない。

靴をつくる技法といえば靴をモノとしてつくる技で、技術といえば靴をつくる

ことをとおして、いかに生るかの術(スベ)を具体する技をいい、つくり手のゆ

たかな暮らしの表象のコトだと思っている。

技法と技術の概念を明確に区分するのは、適正な靴の評価につながってくるか

らである。

その意味から見ると、流布している靴の評価のほとんどが、ただ技法論の領域

で、技術論はほとんど俎上にあがつてこない。

技術論はつくり手の文化が問われることになる。

わかりやすい評価は、靴作成の過程のなかで、ただ底付けの技法で高低差をつ

けるのが、この国の習わしになっている。

熟達するのに年期がかかり手のこんだ技法(ハンドソーンウエルテッド)が、な

にがなんでも上位であり、技法としての極めつけであり、対置して手のこまな

い技法(セメンテッド)は低位でとるにたらないという、たんなる市場でのトッ

ピクス程度が横行しているのは、靴を技法の域にとどめ、商売としての手練手

管(うまいこといって、人をまるめこむのに長じる)をつかわざるを得ないから

である。

なぜ底付け技法だけで、靴を評価する独善を徹底的に追求しなければならない。

その一つが、この手のつくり手から、なぜ、この手の靴が靴技の極めつけか筋

のとおった真っ当な話を聞いたことがない。

ハンドソーンウエルテッドでもセメンテッドでも、同じ「手づくり靴」をキー

ワードにして技法論だけでなく技術論として話合ってみょうではないか・・・

と手をさしだしても乗らないところをみると、この手のつくり手も、実はよく

知らないのではないか・・・と挑発しつづけている。

好きな靴を介してなんとか、思うような生き方を望んでも、今、息詰る閉塞状

況にある靴業態にあって、靴技の技芸技能を競い「どうだまいつたか」と大見

えを切ったところで、小さい、小さくてむなしさだけがよぎる。

問題はそんなところにはないよ・・・

見渡したところ、閉塞状況を一点突破するに足る強靭な技術を練り上げる、そ

のような論が燃え上がる火種もないのが残念である。

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06/01 am 00:00

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