2009/ Jul _ 22

きみたち、生きているの

ものづくりの分野で、それまで無かった新たな価値を創発し、人々に広く共

有共感される存在になっている人と、30年も40問も前に、なにがしの知己を

得たことで、自らの人生をより豊かなものになる。「袖振り合うのも多少の

縁」というように、人生は妙なもので、そのような巡りあわせも妙だが、な

ぜ、そのような出会いがあるのか、とにかくその人と親交にいたらないまま

交叉するにしても、その時、自らの生き方に、なにがしの思念をもらいうけ

た人たちがいる。

それが一片の思念であっても、そのとき受けた言葉の重みを記憶に沈めて、

そこからの自らの在り体が少しづつカタチになっていく、その巡りあいは、

とてつもなく至福であり、もしその人たちと知己を得なければ、今、在る人

生は、幾分違ったものになっていたことだろう・・・と思うことがある。

新しい時代の鮮烈に触れる「場」の渦中に在るか、またまたその周辺に在す

るかは、自らの生き方の思念をつねに問いつづけていることから、自ら呼び

こむこともあるだろう、呼びこまれることもあるだろう、とにかく、ひたむ

きにに時代と取り組む姿勢のたまものだろう・・・と思っている。

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ここに、とことん「つくり手の存在」にこだわり、ものづくりにかけるひた

むきな思いや生き方を、つくり手自身が話言葉で伝える面白い雑誌がある。

創刊10周年を迎えたクリーク・アンド・リバー社 & 青幻社の「DIRECTOR'S

MAGAZINE」である。

気になる人がとりあげられているたびに購読している。その6,7月合併号

に、天野祐吉、木滑良久の名が大きく組まれている。共に同時代人としての

気質が色濃く塗りこめられていて大いに共感共鳴する人である。

天野さんは、つい先日30年を期に終止した「広告批評」編集・発行人をつと

めた人で、モゲと同じ1933年生まれ、共に広告代理店・博報堂に在し、共に

同じ団地に居し、通勤時、社内廊下で会釈するていどで、モゲはTVCM制作、

天野さんは博報堂のPR誌「広告」の編集にたずさわっていて、ともに広告制

作で協業する機会はなかったが、天野さんが手がけるPR誌「広告」は、マー

ケティングの技能法にかたよらず「広告批評」とあわせて広告を文化の創発

をひきだすコミュニケーション・ツールに重きをおく、マーケティングとい

えどもクリエティティブとする姿勢にいたく同調して、後年「moge」ブラン

ドを冠した既製靴マーケティングから脱出し、手の働きを暮らしの真ん中に

すえ新たなコミュニケーション・ツールとして、思う生き方、願う仕事、望

む暮らしをカタチにする「活私共生」の仕組みつくることになる。

木滑良久は1930年生まれ、現マガジンハウス、最高顧問。

知られているのは、「平凡バンチ」「アンアン」「ポバイ」「ブルータス」

「オリーブ」「ハナコ」「ターザン」「クウネル」と、とにかく時代も味方

したとはいえ時代の前衛を疾風した、空前絶後、稀代のエディターでと思っ

ている。

木滑さんとの出会いは、たしか1973年頃「Made in U.S.A. Catalog」の編

纂にあたり、途中入社した、のちにテレビ朝日系の人気深夜番組大橋巨泉の

後続番組「トゥナイト2」のキャスターを務める石川次郎に靴のレクチャーを

してほしいと、ある人を介して依頼されたときである。

六本木に編集別館というよりも小屋といった感じの雑多な編集部屋での木滑

さんの印象は純白のシャツと白い几帳面に4角に折りたたんだハンカチで、汗

をふきふき、「DIRECTOR'S MAGAZINE」でも同じことを言っているので

転載するが・・・

「ものをつくるというのは、生まれ育ってきた中でできた自分の『ほんとう

に好きだな』『ほんとうにこれいいな』っいう、その思いに反射させながら

やっていくしかないいんだ。だからいちばん大切なのは、小っちやいときか

ら自分がもっているモノなんですよね。それにしたがって生きていくしかな

い」。そうだよなー、それしかないよなー・・・と記憶にのこる言葉となった。

人を魅きつけるすざましいエネルギーと、この言葉に元気をもらい、ことあ

るたびに反芻して今がある。

1950年代、大学の卒業時は就職氷河時代なんていう表現ではおさまらない、

就職率30%ていどの就職絶望時代で、好きな仕事につきたいなどと思いもし

ない、とにかく、伝手でどこかにもぐりこめれば、専門知識が皆無でもくそ

生真面目に与えられた仕事を真っ当する、昭和一桁世代 ( 1933年生まれまで

を昭和人とする趣きがあるが ) の、まぎれもない気質である。

天野さんが「・・・どの分野にたいしてもアマチュアのいい感覚もってりゃ

いいんだ。本当のプロはそれしかできないだからね。だからオールラウンド

アマチュアでいいんだ」・・・。

モゲが、つね日頃からいいつづけているのが「終生、素人でありたい」に通

じる。

昭和一桁生まれは、師匠筋をもたなても、専門学校の門をくぐらなくても、

自在自学が習い性となっているからである。、

マンガ家、TVCM制作、広告制作会社をたちあげ、マーケティング業から、既

製靴販売、手づくり靴のワークショツプと、10年区切りで鞍替えする。

天野さんは10年がいいとこ、木滑さんは3年しか保たないという。

アマチュアのうつり気といってしまえば、そのとおりだが、戦後この方の時

代のうつり気を目の当たりにしてきた身としては、男子一生の仕事を真っ当

する美学を認めないわけけではないが、プロを任じひとところに留まる危う

さを知り尽くしているのも昭和一桁生まれの気質である。

「自ら、こうで在りつづけてきたことしか、人に手わたすことができい」。

「自ら、面白いと感じることしか、人に面白いとはいえない」。

「ただ大事なのは、その面白いと思える感覚が自らのなかで確かか、普遍が

あるか、同時代性があるか、いつも検証し、時代性が自らの中に在るかをい

つも思っている」。

これも天野さんの言葉の要約だが、まこと自律自在に生きてきた人の言葉は

重い。

どれだけ時代にそえるか、そうだけではなく、時代のちょっと先を見据える

素地があるか、そして時代の新たな領域を拓く創意があるか・・・の思念を

もちつづけいるのも昭和一桁生まれの真骨頂ではなかろうか。

何も無かった昭和と何でもありの平成は違うのだから、一緒にできないが、

それにしてもきょう日、靴とかかわる仕事をしたいと思っている若い人の不

甲斐なさを見るたびに「きみたち、ほんとうに生きているの」と問いかけざ

るを得ない。

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07/02 pm 10:00

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