2009/ Jul _ 11

望むべきは自転車共和共同体

資本主義はモノ欲を刺激し需要を無限に創発しなければもたない仕組みで、

とどのつまりは「なんでもあり」の満腹状態なのに、それでも毎日、日替わり

で「それ買え、あれ買え」と、エコポイントまでつけて、連日、拡声連呼する

さまは資本のヒステリー症候としか思えない。

いき場のない資本は、金融市場に雪崩こんで、世界の広域で私たちの暮らしと

実体経済を破壊するさまは、もはや資本の暴走と言っていいのか資本の断末魔

なのか、とにかくこのままで済む話ではない・・・とみんな感じているに違い

ない。

さてどうするかになるが、資本のあの手この手の手練手管にのって肥大する

モノ欲望をあらたな価値観をもって縮小することができるかどうかになる。

たとえば、この國の若者が自動車を買わなくなった・・・と自動車資本は頭を

抱えているが、就職し初給料をもらうとすぐローンを組んで車を手中にしてい

た若者の象徴欲望が、自律的に自転車に切りかえるのは、もはやモノ所有欲で

満たすこれ見よがしの豊かさよりも、生き方、文化の豊かさ、つまりの「質

素」という自らの生き方の「質の素」を見きわめ、これまでとちがう生き方を

自律的にしょうとしているからだと思う。

石油系燃料エネルギーを消費する自動車から、人的エネルギーを活性化する自

転車への移行は、次代への変革の象徴として歓迎すべきことがらだと思ってい

る。そして望むは、オランダ・アムステルダムの自転車都市・自転車共和共同

体への成熟社会である。

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自動車の免許無しの根っからの自転車っ子で自転車は身体の一部だと思っている。近頃は、できるだけ歩くようにしていてあまり乗ることがないが、工房の天井に自前の自転車がぶらさがっている。
上段の2台は、7年前までは毎年10年ほど、夏休みには下関から中国山東省の青島市までフェリーで往き通っていた時に携帯した自転車である。中国大陸を爽快に走輪する勇姿 ? 想像ください。
左は、パーツをあつめて組み立てたオリジナル、右は10年ほど前、はじめて輸入されたドイツのBD-1、今ほど洗練されてなくハンダづけも荒っぽく、まだつくりなれていないといった稚拙感がなんともイイ。

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下段左の赤い自転車は、赤いチャンチャンコでもあるまいと16年前の還暦の贈りものである。その隣はドイツ連邦共和国デザイン賞を受賞したBMW のCruise Bikeである。その隣はイギリスのアレックス・モートンのパイロン。
つくるとはどういうことか、細部にわたり溢れんばかりの創意と自転車を愛する心情に敬意を表し、親戚の金をかき集めても手元におかなければならない、この世にはモノを超えるモノがあるとだけ言っておこう。
どれもこれも「機能快」をひきだす美しいフォルムである。

資本は行き場を失って一挙に経済振興国に雪崩こむが、これとて一時しのぎで

あつて根元的な変革とはいえない。

このところ、メジヤーとマイナーをつき合わせて考えるが、とにかく、メジ

ヤーはメジャーで突っ走っていきなさい、その支配のおよばない圏外で小さく

さらに小さく自律して生きていける仕組みを、わたしはマイジャーと言ってい

る。

自動車から自転車、石油系エネルギーから自前のエネルギーで、できるだけ手

を働かせて必要なモノを自らつくり暮らす「 D I Y 主義」をマイジャーの中心

にすえ、モノとのかかわりを暮らしのなかで再構築していく。

とにかく不必要なモノをそんなに沢山つくってどうするの、必要なモノを必要

な人が、必要なだけつくる。そんな思いをもつ人が集まる場をつくりたい、そ

の思いでつくったのが「モゲワークショップ」というカタチになった。

トップページに掲げているが・・・

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長い間、さがしていたコトバをみつけました。「知る」コトは「感じる」コト

の半分も重要ではない。化学物質の環境汚染を告発した[沈黙の春]と[セン

ス・オブ・ワンダー]の著者レイチェル・カーソンの言葉です。

このコトバのように感じたコトから、コトをはじめてみよう。

いろんなコトを感じている人の[集まり]に[参加]し、身体と意識で感じと

る[体験]をとおし、自分の生きカタチをつかんでいく。

ワークショップはそう云うトコロだと思います。ですからワークショップは単

に仕事場、作業場、工房と云った域にとどまらず、この[場]を媒介にして、

人と人とが出会い、

かかわりを豊かにし、

自然をとりもどし、

社会のかかわりを問いながら、

手で足と靴のイイかかわりを [感] じとれたら、いいなーと思っています」。

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繊細で複雑な機能をもつ足構造と歩行機能は二人として同じではない。

それだけに、足と相似する手の繊細な機能を生かし、足と靴のいいかかわりを

掌を包み、手を働かせることを暮らしの中枢にすえなければならない。

それでなくてもきょう日、手は装うことのできないはずだがネイルアートなど

の蔓延で手の働を疎かにする傾向は、言い替えれば人間力の低下の表象であ

り、それが社会病理の遠因ではないかと危惧するのは思いすぎだろうか。

パラサイト・シングルでモノ欲につかれ毎月給料を全部消費するような暮らし

をつづけていた女人が、靴をつくるようになって3年目くらにいに「わたし近

頃モノ買わなくなった」と、手の働かせ靴をつくる工程の数の多さ、かなりの

時間を費やす手元をみつめていると、資本に踊らせられていた余計なモノ欲が

どんどん削られて暮らしの質素を感じとつていくのだろう。変革は自らの身体

をとおして興す、そのキッカケをつくる D I Y 主義は、今、もつともピュアな

思念でなかろうか。

モノ的なものから自立したコト的な・・・人と人が手をとりあって共感共生の

豊かさををさらに公共へ広げていく。

市場経済になじまないが、株主への利益供与するだけでなく公共や文化に積極

的に還元する豊かな「社会市場主義」という言葉がちらほら目にするように

なってきた。

英国の銀行の話だが、預金者に投資先情報をすべて開示して反社会的、反公共

的な企業への融資をきびしく査定し、もし銀行が違反すれば預金をひきあげ

る。すべての融資先情報開示するあらたな銀行が預金者に支持され業績をの

ばしているそうだ。

なんと成熟した社会なのだろう。

とにかく靴を介して足と靴のイイかかわりを突き詰め実践するワークショップ

を26年つづけている。これからはどのように公共につなげていくか、あらたな

課題としている。

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07/11 pm 03:00

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