2009/ Jul _ 02

1980年初頭 、みんなこんなに元気だった。

フットウエアプレス(FWP)の6月号は「創刊600号 50年の歩み、これから」

の括りで回顧特集を組んでいる。いわば、日常履だつた下駄、草履が靴にお

きかわった既製靴の戦後50年史でもある。

感慨ぶかいのは、丁度50年前の広告代理店時代、大手靴チェーンの担当に

なったのがきっかけで、右も左もわからない業界の資料として手にしたのが

FWPの前身「ぜんしん」であった。

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靴にかかわって有に50年になるが、共に靴を語るにたる共有語をもちあわしていないことが不思議でならない。要するに噛み合ないのである。ただ飛び交うのは市場で流通する「売れる、売れない」でしか靴を評価しない商用語だけである。
きちっと靴の本義を真っ当に語ることができないうちは、暮らしでの履もの文化があるとはいえない。このエッセイは「語りあう、あらたな言葉」と題して、なんとか共有共感できる新たな靴の言葉を紡いでいきたい。

モゲの靴歴とFWPの履歴が同軌道にあり、600号記念号に6年振りに連載エッ

セイをはじめるのも因果葎のたまものと思っている。

その特集で組んでいる「業界の重大ニース」に一大勢力に成長したDCブラン

ド(企画問屋)・・・云々があり、これもまた先拓した者として感慨深いもの

がある。

年表では、この新興DCブランドは1976年に顕在したことになっているが、

顕在化するには、それなりの前史というべき兆候があり、時代とのめぐり合

わせで一気に開花するのである。

前史の兆候は、川の源流に似て、はじめはファド(突起)として点在するが、

やがて滔々たる流れになるように、人は「素敵」に流れ込む。

戦後、類をみない靴業市場史に一大ムーブメントを興したDCブランドの、そ

れこそ爆発は、ドレスアップからドレスダウンに一気に傾斜したカジュアル

の多様な価値分散に大手靴問屋がついてこれない市場背景を味方につけて、

バブル経済崩壊いたる10年間、浅草の大手問屋を凌駕する新たな勢力になっ

たのは、たんにシューデザイナーのムーブメントではなく、時代を切り開く

コンセプシャル・ワークが大手靴問屋の旧商習が及びもつかないマーケティ

ング・ストラテジーを展開したからである。

マーケティングの模擬学習のない、自己顕示症候だけの作品中心主義にこり

かたまつたシューデザイナー志望が、客寄せパンダの役割でしかない業界催

事のコンペティションに、ただ功名をもとめるしかないのはその症例であり、

自ら起業し市場参入するパワーと可能性はきわめて低いし、ましては閉息市

場を切り開く一大勢力になり得る芽は彼、彼女らにはほとんどない。

コンペティションに名を連ねる既製靴技専修機関が、市場性のないお遊びと

しか見えない安直な作品主義に偏向せざるをえないレベルにしかなく、せい

ぜい既存市場でのお抱えハウス・デザイナーを送り出すのが、精一杯という

ことなのだろう。

業界と既製靴専修機関をつなげる次代育成についての現状は、まつたくのパ

イプレスである。

それは、マーケティイング無経験の既製靴技能キァリアに育成を任せている

うちは、作品主義に偏向するのはあたりまえで、それでは在っても無くても

いい、存在理由がありませんョ・・・と云わざるをえない。

業界と太いパイプを構築するのと既製靴専修機関が育成機関となるためには、

かってのDCブランドのサクセスストリーをテクストにして、作品偏向主義か

らマーケティング・ストラティジーの一環としてコンセプシャル・ワーク =

ブランド創発を必須課題とし、業界一体となって模擬的フィルドワークに投

資して、次代の担い手のリアリティある育成に加担しないのか理解できない。

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企業とは、クリエイティブを一義とし、マーケティング、プロダクトを束ね

「技能専化し集団分業」で市場活動するのが在り体だとすれば、クリエイテ

ィブ、マーケティング、プロダクトを「個の資質に統合」すれば、ひとり仕

事で自律自在に生きることができるはずだと考え、モゲは20代はクリエイ

ティブ、30代はマーケティングと広告制作から40代は、軸足をマーケティン

グだけに移し、いよいよプロダクトの領域に参入、1973年のことである。

1972年にテスト・マーケティングの準備をはじめ、1973年にメンズで「moge」

を冠する企画問屋をはじめるが・・・

「たつた一人でも問屋業ができる」

・・・と、またたく間に伝播して、大手問屋でくすぶっていた実務実践の実

力ある営業とデザイナーが組んで2人から多くても6、7人程度の小人数で起業

し、ドレスからカジュアルの明快な概念をひっさげ脱大手問屋、脱旧商法を

合い言葉にして、1975年から1985年にかけてDCブランドは、既製靴産地の

浅草から、マーケット・リーダーシップを青山、原宿域に、その中心軸をう

つし浅草の大手問屋を凌駕する一大勢力になったのが、このDCブランドの経

緯である。

今の作品偏在主義にこりかたまつてカッコつけているシューデザイナー諸姉

諸兄 ? に、この事実をどう受けとめるか、話を聞いてみたいものである。

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特集の「ニューウエイブ・ブランド年表」では発足年を1976年、卑弥呼、

ファナティック・・・からはじまったことになっているが、同時代人として

幾分かの訂正をほどこし、前史からDCブランド勃興にいたる詳細を述べてみ

よう。

前史は、DCブランドでくくられる時勢には入らないが、この動向に影響を与

え下支えした兆候であり、忘れてはならない ( すでに故人になられた人もい

るが ) 時系列にしたがって史実の詳細を「忘れ得ぬ人」として敬意をもつ

て、その名をとどめておく義務を感じ、この一文を呈する所以である。

この国で、はじめてシューデザイナーと名指しされ、1977年に「KISSA」ブ

ランドで起業した故高田喜佐。

大手問屋のイン・ブランドでのちに独立した「MAIE」の故金田昌子。

本人が履歴を削除しているので名は伏せるが「プランナーM」。

1969年、外苑西通り沿いの南青山にカルッリア・ホソノをたちあげ1970 年

から1973年にかけて、いまだに語り継がれているロンドン・ブーツをひつさ

げて一大ムーブメント起こした張本人・細野勝。

アメリカン トラッドが食傷気味になった1961年、ひとつの事件と言い切って

もいい旋風を巻き起こしたヨーロビアンテイストのオペルカ。1979年浅草か

ら北青山に移転フラッグショップ「オベルカ・ギャラリー」開設した加藤義忠。

この5人のプレゼンターは、DCブランドの前史の「素敵」として記録してお

かなければならないと思っている。

1971年、会員制のファッション情報を提供する「 JALFIC 」をたちあげたの

は筒井重勝と渡辺ユミだが、情報による市場誘導に、かなりのラグが生じ苛

立っていた渡辺ユミに、時間差をつめるには自ら商品化して市場参入する意

外にないと説得、ジャルフィックを離れ1974年に「ファナティック」をたち

ある。

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明治通の「ユニクロ」の斜め前の宮崎ビルの地に共同社屋を借りメンズの「moge」、ウーメンズの「ファナテイック」の2枚看板を掲げ青山・原宿のDCブランドの中心的存在になる。
上下段、同じ場所だが、上段はビルになる前の共同社屋、明治通沿だが隠れ処で見た通りのたたずまい。原宿とは思えない閑静で気に入っていたが、下段は1984年にビルになり既製靴の仕事の残務整理と新たな仕事の準備をはじめた頃の仕事場。

当時浅草の大手問屋「大雅」の内紛でとびたし1975年に起業したのがモード

・エ・ジャコモの熊本克明と、卑弥呼の柴田一である。

その柴田一が起業にあたりサゼッションしたのがモゲと渡辺ユミで、「卑弥

呼」と銘したのは、魏志倭人伝にあらわれる邪馬台国の女王・卑弥呼に陶酔

する渡辺ユミが名付け親だと記憶している。立ち上げの展示会の飾り付けの

手伝いにいったのも懐かしい思いである。渡辺ユミは、75年から77年頃まで

続いたロング・ブーツブームの仕掛け役ととして靴業界に多大の恩恵をもた

らしたと、いまだに語り草になっている。

モゲは後年、卑弥呼のブランド群に「L.P.D.」ブランドを企画ラインアップ

したが、2年で終止、その後このブランドは衣替えして、かつて青山・原宿の

DCブランド連合の仲間であつた「マリールー」の大久保一郎の手腕で「L.P.D.」

は現在の隆盛を見る。

その「マリールー」から「AKAインターナショナル」の赤嶺勤が輩出した。

熊本克明と、柴田一2人の逸材を失った大手問屋「大雅」は、失地回復を願い

起用したのが、自由が丘のロマンシューズで店頭に立っていた浅香弘次であ

る。かれのソフト・カジュアルの斬新さは衝撃をあたえ、市場に新たなシュー

シーンをもたらした。

問屋のハウス・デザイナーにとどまっているのはもつたいないと焚き付け、

のちに独自のブランド「フィリップ・ボアイエ」をひっさげ浅香弘次は仲間

に加わる。

モード・エ・ジャコモは当初6、7人位の規模でモゲとファナティクの共同社

屋の少し先のマンションにあり、そこから枝分かれしたのが「ミスユー」の

池田孝であり、その弟が「デボラ」をたちあげる。

枝分かれといえば「Kissa」から「フイン」の渡辺伸一。

「ラボキゴシ」の宮崎良三、「コメックス」の高橋定義、「クロスロード、

足ながおじさん」の田辺章と「フィリップ ボワイエ」の浅香弘次の浅草勢と

青山、原宿組と手をつなぎ、全国の取引先を六本木のクラブの招きの宴で

挨拶したのが、DCブランドの在り体を比喩的に述べた「ライオンとウサギ」

の話は、のちにモゲイソップと評され、モゲを「うさぎの人」云う人も

いた。

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1980年、青山・原宿勢と浅草組の有志がが「トウキョウ フットウエア メーカーズ = T F M' s 」と銘して合体し、はじめて共同展示会をしたときの案内パンフ。デザインは、現AKAインターナショナルの赤嶺勤。懐かしいパンフである。順を追うと・・・
トークツの「アズ」・・・この頃には大手問屋もDC旋風にあおられてハウス・デザイナーを抱えキャラクター・ブランドに参入してくる。
クロスロードの「あしながおじさん」、「ミスユー」、「モゲ」、「卑弥呼」、「ファッド」、「ファナティック」、「フィリップ ボアイエ」、「コメックス」、「マリールー」、「ラボ キゴシ」。
自分たちが靴業界に新たなシューシーンを創ったとする自負にあふれ、みなすこぷる元気な頃である。

このDCブランド = 企画問屋 = キャラクターハウスなど様々な言葉で括られ

たが、企画問屋は少人数がその身上のはずが、時あたかも1980年半ばからの

バブル経済の狂気にまきこまれ、若年ゆえのマネジメントの素養不足から銀

行の口車にのって、とどのつまりは、それいけドンドンの事業拡張拡大、異

業種にも手をだし徐々に大所帯になり、DC市場も10年もたてば、追い上げて

きた大手問屋との差別も消え同質化、徐々に競争力を失い、さらにバブル崩

壊で大方は市場から退場していく。

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既製靴市場に参入するにあたっての思いは、「ズック・コンプレックス」この一言につきる。36年たつた今でも一貫してこの思いはかわらないし、いまだに色あせないのは、履ものの普遍がこの一言に集約されているからだと思っている。肌合いというか皮膚感覚にいちばん馴染む素材は、耐久性に多少の難はあるが布帛がもっとも適材だと思っている。よって革素材はこの布帛の履き味にコンプレックスをもたなければならないとするのが「moge」であり「moge workshop」の在り体である。よってシーズン・プレゼンティーションに欠かせないのが布帛のコレクションである。
思えば平成12年度のワーカーズ11期生の千葉理は課題靴すべて布帛を通し、今、丸紅フットウエアに在している。コンセブション・ワークよりもこの一貫した姿勢 ( 生き方 ) に重きをおかなければならないと思う。
上段は今から30年前、取り扱ってくれた店のズックシユーズ ( Tシューズ ) コレクションである。30年というタイムラグを多分感じさせないだろう。
下段は、ヌメ革のサンダル群、モゲは夏期の方が好きなので冬期より力が入る。
もっともらしいコンセブシャル・ワークを「でっちあげのことでしょう」といみじくも云い放つた靴企画畑の女人がいたが、カッコイイ言葉でつづるのでなく、もつと靴の内部から、暮らしの内部から、時らの生き方の内部からにじみ出る言葉にしか普遍はない思っているし、そうしてきた。
よく10年間、これだけの規模を一人でやってきたのか・・・と問われるが、ひとり仕事でしたと答える。

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DCブランドは、新たなマーケット・シーンを創発する。靴量販チェーン店、靴専門店、に加えてDCブランドを取り扱う店を「シューブイテック」と称され、また今ではあたりまえだがアパレルの市場への進出も急展開し、モゲは、パーソンズ、タイムテーブル、グラスと横並びでメンズ アパレルショップで4大ブランドと括られていた。写真はメンズからウーメンズに進出した頃の「moge」ブランド扱い店のショットである。

DCブランドの萌芽期には、全国の靴専門店のシューブティック化、アパレル

への参入、地道に説得協賛を得なが一店一店まきこんで築きあげてきたDC市

場マップもできあがり、10年目の1983年以降は、バブルの好景気に支えられ

て後続組が容易に市場参入できるようになり、この年表を見ても1983年以降

のブランド名は、世代交代も相成ってほとんど知らない。

10年一昔と云われているように、DCブランド期として括るとすると1973年

から1982年までだと思っている。

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小さく、小さく在りたいから、集団から個へ、さらに小さな部位である手のうちで、どれだけの世界が描かれるか、とにかく何も考えずに、ひたすら靴を足分自らの手でつくりあげる。師匠筋を持たず試行錯誤しながら自在自学でやりはじめた頃の仕事場、奥に見えるがグラインダー、圧着機、スキ機、の中古を50万で入手、今にして思えば無謀としか思えないが・・・だが今が在る。

コンセプシャル・ワークで手中にできなかった自律自在を、さらに小さな単

位であるハンド・ワークにゆだね一気に具現、手づくり靴で生きるカタチの

先拓となり、この閉塞時代に新たな生気をふきこむ。

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07/02 pm 08:00

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