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2014/ Aug _ 14

 不器用、不細工も美学のうち

「手づくり靴は、市場の論理とは相容れない、独自の主体的存在」だという

コトを知らなければならない。

みるところ、手づくり靴のつくり手でも・・・

現実をうけいれないで自分さえ満足すればイイという自己承認要求の強い

人、このような人は、得てして自分が他人よりも優位の上位承認欲求も合わ

せもっている。自分は特別なコトができると思いこむ人たちである。

靴作家とか技芸技能の職手(靴職人とは自らの手で足分つくる人をさし、職

手とは、分業の担い手で、足分つくれない人の意)、この属性は自分を際立

たせがる靴作家(アーチスト)とか、 または技能技芸を至上のものとする靴

職人の像と重なる。

この人たちは、靴をつくコトは、特別域で、誰でも靴がつくれる一般域にな

っているとは絶対に認めない際限のない自己肥大したアーティスト症候の

人たちである。

この生き方と対位して、現実をうけいれ、できれば現実をも変えたい思い

を、靴つくりをとおして他者と共有したいという他者承認要求の強い人、

「俺が、俺が」と自己顕示するのではなく、むしろ黒子に徹して、靴をつ

くりたい人に靴づくりを手ほどきしていくワークシヨップを興した人たち。

いうなればワークショップでのファシリテイターの役割を引き受けた人た

ちである。

そして靴づくりの現実場面を、特殊なコトから、普通のコトに大きく変えて

のも、ワークシヨップの方法論を靴づくりにもちこんで実践してきた人たち

である。

「自らの手でつくって、自らつかう」。30年前、アルビン・トフラーの著

書「第三の波」で予見したプロシューマーの新たな時代を現実のモノコト

にしたのも靴のワークシヨツプの担い手である。

どちらが、時代をつくってきたか、歴然であろう。

浅草の既製靴の職手が手房に遊びにきて、必ずするコトは、両足靴をそろえ

て「左右、違うョ」とか「もつと器用にキレイにつくらなきァ」と云う。

売り買いの既製靴市場の論理にコリ固まった化石、化石では新たな事実へ

の想像力というモノがもてるはずがない。

その度に「人の足は左右同じ人はいないョ」とか「手づくり靴は不器用も才

能のうちだョ」と返す。

20140813

キレイな人参と不細工な人参、フランスのスーパーの試みだそうだ。不細工

の方が完売。同一視はできないが、自らつくるコトに意味がある。つくった

靴が見た目不細工でも靴の本義があれば、愛おしいはずである。この感覚、

意識を尊重しなければならない。

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2014/0814 pm 03:30

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