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2014/ Aug _ 13

 手づくり靴は、主体的存在

ただ、市場で売れる売れないが、ただひとつの評価だとすると、売れるコト

が「正」で、売れないコトは「負」となる。

高度消費経済構造下では売るためには、なんでもありで、その手法は、とて

つもなく高度で緻密、老獪になる。その影響は、知らず知らずのうちに人々

の意識にくいこんで、生き方まで左右してしまう。

その一翼を担うのが、表向きはカルチャー誌を装いながら、中身は消費促進

の商業主義 (「理想の生活が買える店」はその典型) で泥まみれになってい

る雑誌類である。

あるメンズのライフスタイル誌が取材を装って、じっは「編集企画」を持ち

こんで来る。編集企画は「職人列伝」とかで、ページ70万と提示される。

「そんなコトばっかり、やってるから雑誌が売れないだ」と追いかえした

が、後日発行されたその号をみると「よいしょ、よいしょ」の幇間ぶりで

目をおおいたくなる。

このような、情報シャワーを浴びると、メディア・リテラシー欠如の無菌

質の人々は、情報に底流するメタメッセージに翻弄される。

見るところ、靴技専修機関 (けして養成機関とはしない、養成機関として

は、すでに破綻している) もそうだし、手づくり靴のつくり手のなかにも、

手づくり靴のなんたるかを踏まえ主体的に活動する人は、そうはいない。

翻弄されるといえば、イタリアの靴専修校(実は「プチ留学」といって客集

めのために日本の旅行代理店がつくった学校)を中途でやめて、親方職人の

工房に無給でもぐり込こむが、お金がつづかなくなって帰国する例は、い

とまが無い。

その街には5つほどの工房があり、そこで働いているほとんどが日本の若

者で、その工房に買い付けくるのも、みんな日本のデパートのバイャー

という笑うない事実がある。

「神の手をもつつ職人」とメディアに奉られて、それを黙認している靴職人

がいるが「ふざけんなー。俺は手は人の手だ」と啖呵のひとつも切って、訂

正をもとめる気概が、「匠」というコトだろう。

技能技芸の器用しか評価しないのは「巧み」であって「匠「ではない。

商業メディアは、目をそむける「陰」の情報は隠蔽して、幇間もどきで

「陽」の情報化しかしない。

靴のアーチスト志向、技芸技能志向は、市場の評価にゆだねる症候であ

って、手づくり靴は、述べてきたように、市場の論理とは相容れない、

独自の主体的存在だというコトを知らなければならない。

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20140813 pm 09:00

カテゴリー:日々考日 | Edit