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2014/ Aug _ 10

 手は暮らしのリアルを紡ぐ。

ディヤーズの一人が、彼の靴をつくると云うので、足計測にきてもらった。

帰ってから「彼、なにやってるの」聞くと「彼、アーティストです」と返っ

てきた。「彼、芸術家です」と云い直をしてごらんと、チョットいじめてみ

る。

「・・・・」。

出典は、さだかではないが、「art」語源「ars」には「よりよく生きる」意も

ある。

より自由に生きる、または、より自由に生きぬく、その表象は独自の表現で旧

制(抑圧)のしばりを解き放ち、旧時代を切り裂いていく。

アーティスト(= 芸術家)の生なる軌道は、云いかえれば、より自由への新た

な時代を生みだす殉教的表出だと思っている。

きょう日、漢字や漢字では表現できないモノコトをカタカナ熟語 ? に変換され

るが、その多くは商業主義とむすびついて、はなはだ軽薄になコトになってし

まう。

これは私見だが・・・

考えてみると、18世紀、産業革命以前の手工業時代には artisan = アーチザン

の時代であり、アーチストという称号は皆無であった。 (かのミケランジェロ

はアーチザンと云われるコトが多い)。

やがて、スチーム・エンジンの発明により、手業時代から機械による工業化量

産時代(産業革命)にはいり、モノが沢山できるために、おおいに人々のモノ欲

望を刺激し、より売らねばならない手法として artisan の頭3文字 art を分離

させ、新たな職業域をつくり、今日に至っている。

art と ・・・tisan の分離により、さらに分業職域が拡大され、派生的に社会

階級構造の出現につながっていく。

靴の技法に上下、優劣はない立場をとる。(これは手づくり靴のつくり手にとっ

て踏み絵になる。)

この階級意識は、市場に持ち込まれ、とくに商業主義と結託して靴技法を差別

化するのは、まつたくの虚構と云わざるを得ない。

手づくり靴の志は、この虚構に組しない前提をもたなければならない。

美系の大学、専門学校出の属性だが、この市場という虚構の価値体系に規定さ

れる人が多い。いいかえればアーチスト症候群というべきアート コンプレック

スにさいなまれている靴のつくり手達である。

手はリアルにしか反応しない。虚構というフィックションにかまっている無

意味さを手は知っている。

冒頭に述べたように・・・靴を媒介にして

より自由に生きる、または、よ自由に生きぬく、その表象は独自の表現で旧

制(抑圧)のしばりを解き放ち、旧時代を切り裂いていく。アーティスト(=

芸術家)の生なる軌道は、云いかえれば、より自由への新たな時代を生みだし

生きる感動をあたえる表象をアートとするなら、これに値する「○ ○靴展」など

あったためしが無い。

多くは「展示即売会」とか「展示受注会」の類いになる。ゆえに商業主義の括

りに過ぎない。だからいくら案内状を送付されても出かける事は無い。

ただ、一つでかけるのは「曽田耕の催事」のみである。(そのうちに曽田耕

論を記したいと思っている)

真の意味で、靴はアートになりえない。

手は暮らしのリアルを紡ぐ。

(暮らしの靴手房・moge 塾にて)

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2014/0810 pm 02:00

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