2014/ Aug _ 09
日常茶飯美
手づくりゴトの手元から感じとるのは、すべてが「日々是あらたか」、なぜ
日常茶飯事という言葉があるのが不思議になる。
なぜ手を働かせるのか、手でなければ感じとれない「生き方、シゴトの在り
方、暮らしのカタチ」がひとつにつながってくるからである。
こんなコトは、きょう日、見わたしても、そうはない。
だから、暮らしは自らの手でつくるモノコトだと、思うようになる。
手づくり靴も、手で装うコトばかりしている人が多すぎる。
「手は装うことができない」。
だから手なのである、このうけとめ方はとても大事なコトだと思っている。
とすると、つくる靴も、日々暮らしの感性と美意識が、自然 (= nature)
にたちあらわれてくるはずである。
手を働かせていると、日々を、ありふれた日常 = 日常茶飯事ってなんのコ
トとなる。
ボクは、日常茶飯美といいかえている。
(暮らしの靴手房・moge 塾にて)
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2014/0809 pm 05:00
カテゴリー:日々考日
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