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2007/ Apr _ 05

17期カリキュラム ウイクリーおわる。

ワーカーズ17期生を3月23日におくりだす。よって17期の「カリキュラム・

ウィクリー」は3月23日をもつて完結した。

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モゲワークショップには、赤、白、緑の3色の記念ワニ・バッヂがある。赤はディヤーズをまる3年やりあげたひとに赤ワニ・バッヂとワニ(道具)を記念にさしあげる。うらに期数を掘った白ワニ・バッヂは、ワーカーズの卒業記念に、さしあげる。

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緑バッジは工房をたちあげたワーカーズの記念バッジになる。17期を卒業と同時に H・T と J・K は共同工房、K・U は単独工房をたちあげたのでさしあげる。白がいきなり緑になったことになる、今まで緑のバッヂを掌中にした人は50人は下らない。17期の面々は自分のペースで白を緑に染め上げる日を心待ちにしている。

「カリキュラム・ウィクリー」をはじめて、はや3年たったことになる。

技術は主体的に固定化、定型化するものではなく、客体化し常に「 ? 」をも

ちつづけなければならないと思う。よってカリキュラムを公開の意図は・・・

ワーカーズ17期生には反芻のために、

ワーカーズのOB、OGにたいしては靴の概念と年々深化拡張する技術の伝達

のために、

これから靴をつくる技術を手にして仕事をしたいと考えている人へ多様な選

択肢のひとつとして、リアルタイムで、専修機関の存在意義をドキュメンタ

リーとして伝えるのが真意な態度であると思うからである。

どこも同じようなお題目的で、存在意義がよく分からない専修機関に怒りす

ら覚えることがある。

なぜなら、既製靴のように頭と手足の分担仕事は、頭を働かせ頭で幻想する

虚構でもことたりるが、手づくり靴の仕事はひとりで手を働かせ、手で感じ

とるリアリティがなければ、とてもやってはいられないからである。

業界とのパイプライン・システムが瓦解して潤沢な仕事の場がないにもかか

わらず、業界アピールという演出と自らのプロモーションのために行われる

多くの専修機関のファイナル・イベント = 卒業創作展のように・・・靴だけ

なら幻想のファンタジーさえ描いていればいいだろう。

そこには目にみえる多様な「仕事のかたち」の技術が見当たらない。

今、希求するのは靴をかたちにするだけでなく「仕事のかたち = 生きる技

術」のかたちである。

靴だけつくり「万歳」三唱している場合ではないと思うが。

靴と共に素手で「生きる」という切実なエネルギーを蓄えた「生きる技術 =

生きる仕組み」は、陳腐なファンタジーを描くことではなく、暮らしのリア

ルに徹したドキュメントである。

耳に胼胝ができるほどくりかえし話すことだが「幸福な技術」とは、雇われ

ない生き方ができ、自律自在に願う仕事を生涯通し、望む暮らしができるこ

とが、きよう日もとめられれている技術であろう。

「靴をつくる技術」と「仕事をする技術」は分離出来ない技術であるのに、

製靴の技術は専修機関の領域、仕事をする技術は製靴現場の領域と分離する

から靴はつくれるが仕事ができない「不幸な技術」となって靴職難民となる

ことに何の感慨もない人たちの多さに愕然とする。

多くの専修校は、たかだか30名位の卒業生なのに「わが校は就職率100%」

と胸をはるが、問題は就職率ではなく、願う仕事につけたか、どれぐらい勤

めていられたか就業年数の追跡調査を公開しなければならない。

モゲワークショップは靴をつくる技術と仕事をする技術を分離せず一体とし

て、既存の業界、市場に寄りかかわらず「就職率 0 % 」でも、願う仕事を自

律自在にする技術を手渡すことを意義としている。

モゲワークショップは「卒業制作」をしない、よつて外向きの「卒業創作品

展」なる対外アピールがない。これに当たるのが内向きの「ファイナル・レ

ポート」である。

「卒業創作品展」を校外で大々的に催すのは、就職のために業界に向けての

アピールと専修校の次期募集アピールのためのプロモーションいう筋書きに

すぎない。

もちろん卒業生を作家気取りさせるお膳だてと、創作意欲を鼓舞するイベン

トとして祭り上げる効果も魅力のひとつだが、しかし鐘や太鼓で囃子たてら

れても、素にたちかえったときに「思う仕事」がなかったら、祭りの後の虚

しさは大きいはずである。

靴を「創作作品 = 靴作家」とつなげ技芸を評価しなければならないのは、履

く人の足がなくても規格木型さえあれば靴をつくることができる「ラスト

フィッティング」の技術領域にとどまっているからであり、手づくり靴は、

規定木型によるラスト フィッティングの技法では、どうにもならない個々人

の足差異をくみとる「フット フィッティング」の技法だから、履く人の足が

なければ靴はつくらない。これが手でつくらなければならない意義である。

靴は「歩行具である」このことを否定する人はいないだろう。だとするなら

靴を「売れるか売れないか」の創作表現を評価する前に歩行具として「内在

しなければならない技術」を評価しなければならないはずである。

靴の表象については手づくり靴は「売りもの」をつくるわけではないので、

この1年の課題靴に、内在しなければならない技術と、その表現にそれぞれの

分身として「人なり」が見えることが大事で、ことさら「これみよがし = 作

品」にする必要がない。

客寄せのために食べられない四角や三角のスイカをつくるのではなく、食べ

て美味しいスイカをつくる・・・と例えるとわかりやすいだろう。

モゲワークショップは、靴を作品としないから卒業の前日まで、粛々と作業

をしている。

モゲワークショップ以前と以後では靴の受けとめ方がどのように変わったか。

手づくり靴で仕事の道筋をどのようにたてるか。その思い想いの概念化が

ファイナル・レポートであり、俗にいう卒業創作品にあたるものである。

「変った」「どのように変ったか」「その変り方が、これから仕事をする上

で力になるか」について意見をかわし、ひとり一人個別にどのようなサポー

トをこれからつづけていくかを確認する面談になる。

この1年、靴の祖形にそって必須課題と必要課題にに分けて、そのカリキュラ

ムを主軸にして手仕事の技術の詳細をトキュメンタリーでつたえながら、仕

事というリアリティーを身体化するのがカリキュラム ウイクリーの意図する

ことである。

カリキュラムは、これからの靴、これからの仕事の概念化であり、その技術

に自らの「生きるかたち」を自律的につくつていく、その思い想いをかたち

づくる概念は・・・

靴は [ 歩き ] の構築体ウォーキング テクトニクス [ walking_tectonics]

と考える。[ 歩き ] の構築体とは、[ 足 ] と [ 靴 ] のいい関係を構築するコ

トである。その技事は、靴をつくる技法を修得するにとどまらず、フット

フィッティングとグッドウォーキングの関係性をつきつめ、歩行時、バラン

スを整え足にストレスをかけない技術を内在する前提技術として身体化する。

これが手づくり靴の技術領域である。

また、足と靴のいい関係とは結局、テクトニック カルチャー [ tectonic culture ]

とかかわってくるので、靴の表象は自分の暮らしにたいする文化の意識と感性、

美意識の豊かさの表現として、けして売る前提で靴はつくらない。

モゲ ワークショップは・・・手づくり靴を縦糸にし、横糸に社会とのかかわ

りを織り込んだ布で足を包み込み、地域社会に根をおろし、足と靴のいいか

かわりを通して健やかな暮らしのカタチを共有共存する・・・

技術は、このことがらを具現するための方法であり、たんに靴だけつくる技

術ではない。

モゲワークショップは、靴さえつくれれば何とかなるだろうという程度のと

ころにはいない。

光陰矢の如し、17期の面々は再びこの期のもどることはないが、 1年のなん

と短いことか。しかしこの 1年の重みをこれからの人生の重心にすえて自分

の思い想いをかたちにしていくことだろう。

17期生は、この1年、道案内人つきので一山超えたが、これから自力で幾つも

山をこえなければならない。カリキュラムを修了した人、カリキュラムを修

了しなかった人は、それぞれワークアップ、ディヤーズに編入して、大方の

人は自分の意思で2年目に入る。

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工房をたちあげた3人以外は、ワークアップとディヤーズに編入するので、すぐまたやって来るわけだが、なかなか去り難い気持ちはよくわかる。

生きる技術を伝えるものとして、いつまでも同じところに留まつているわけ

にはいかない、この24年、歩むべき方位を定め、気をしきしめ、自分を含め

て人々の在り体がどこにあるのか見極めてきたから、今が在ると思っている。

また、この24年ワーカーズ、ディヤーズの面々から、どれだけのことを教え

られたか「学ぶとは、学ぶことを教えること、教えるとは、教えることを学

ぶこと」を座右の言葉として、次期18期生を4月10日に迎える。

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(初稿) 04/05 pm 05:00

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