2007/ Feb _ 18

18期ワーカーズの面接説明会終わる。

ブログはね、そこそこでさっと目をとおせる字数がいい・・・という人がい

るが、たしかにさっと流すの軽さがいいのはわかつているが、いざキーを叩

くと指先に思いがこみあげて止めどがなくなる。これもまた間のびして、ク

ドクドとなってしまったが終わりまでお付き合い願いたい。

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2月15日をもって來18期ワーカーズの面接説明会は終了した。

毎年、9月から明け2月まで月一回の割合で、面接説明会を実施している。

ワーカーズを立ち上げて18年目にはいるわけだが、18年前は靴の専修機関は

新参のモゲ ワークショップをいれて3機関しかなかった。

他の2機関は、当然ながら業界と一体になって、いかに製造現場での即戦力た

る技能就労者を供給できるかが役割であり、業界は仕事の受け皿しての責務

があるとする。この仕組みをパイプライン・システムといわれるものだが、

そう思いこんでいるだけで、けして業界一体となって、これから業界を担っ

て行く次世代の育成を真意に取り組むところでないのが靴産業の現状である。

この幻想のうえに製靴専修機関が、続々参入してくる様は尋常のさたではな

い。

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面接説明会のリーフレット類である。毎年つづけて来る人もいるからという訳ではないが、レイアウトは同じでも内容は前の年と同じではない。
ワーカーズの面々の作業風景は17期生の4月から7月までのドキュメンタリーである。
専修専門学校は高校卒業生が主要な対象だがモゲ ワークショップは自律自在をもとめる精神力と、生き方にたいする思いと志しが一本背筋にドーンと通ってないと中々ものになっていかない。
社会にもまれ集団主義に見切りをつけ個に立ち返り自律自在に生きるとなると高校出はまだ寸がたりない。よっぽどないと受けられない。
もう親掛かりというわけにいかない人たちばかりなので、来年からとか、2,3年準備してからとか、自分で資金をつくってくる人が多い。すでに自立している。
年齢層は50手前の人から20代の人と幅広い。手仕事は生涯にわたる仕事になるので、それぞれ自分のペースで生涯設計としてとりくまなければならない。

パイプライン・システムとは、業界と太いパイプがつながっていて、選択肢

が潤沢にあり、なおかつ就職先が安定して確保されている産業の仕組みを指

す。パイプライン・システムは、需要と供給が均衡をたもち潤沢であるうち

は機能するが、製靴専修機関は、いまや全国規模でみると、その数は数えよ

うもなく増え、輩出される人たちが押し込まれたパイプの「出口」は小さく

構造そのものが破綻をきたしている。

それでも、必ずもちだす、いちばん食いつきのいいのが「わが校の就職率は

90%以上」と広言する欺瞞である。

専修機関で修業し卒業する人は、たかだか30人前後なのに就職率90%と胸を

はって豪語するほどのことではない。たとえば新設校で、まだ卒業生が一人

もいないのに、勧誘リーフレットでは就職100%、約束されているなどと

謳ったりする。

多くの大学入試予備校が発表するの有名大学の入学者の合計がその大学の入

学者実数の3倍近くになるそうである。この類いである。

問題は就職率ではない。

「就職先率はともかく、就職先の業種と、当然、就業状態と期間の追跡調査

をしているでしようから、年次的に3年間のデータを揃えてください」と一人

ぐらいは、鋭い質問があっても良さそうだと思うのだが、どっちもどっちと

いう程度のかかわりで多くの専修機関は成り立っている。

業界とのパイプライン・システムの破綻は、とりもなおさず既製靴の製靴専

修機関の破綻という認識をもたないのは、専修機関では既製靴の分業技能

キャリアが主体であり「靴だけをつくる技法」を良しとする域をでれないか

らである。

これから求めるべき手づくり靴の技術とは、まず雇われない生き方ができる

技術であり、手を働かせることのできるうちは生涯仕事ができる技術であり

そしてその技術で願う生き方、望む仕事、思う暮らしができ技術か・・・自

律自在により良い生き方ができることでなければ意味がない。

他の専修機関を出た人に相談されることは、靴を丸ごと足分つくる技術を手

につけたが、製造現場では分業の職手にすぎず ・・・

(ここで問題なのは、靴が丸々つくれといつたところで、傭う方は、そんな事は期待していない。期待するのは分業職手であって靴職人ではない。傭う側と雇われる側が、こんなにも思惑が違う現場を専修校で技術を手わたす当事者は、どうでもいいことである)

・・・離職し誂え靴をはじめたが既製靴のフレームワークの技法では、中々

人の足に合わせ満足してもらえる靴ができなく既製靴の規格技法では誂え靴

も仕事にならことがわかりました。靴さえつくれれば仕事になると思ってい

ました。これからどうしたらいいでしょう・・・というのが多い。

これでは、より良く生きることのできる技術どころか、仕事ができない人を

相当数輩出させていながら、仕事の受け入れ先は業界とする前提の上になり

たっている既製靴の製靴専修校の存在理由が良くわからない。

靴市場は、製造部門、卸部門、小売部門 によって形成されているが、この3

団体が一団となって専修校と共に未来を見据えた対策を講じている話は皆無

である。また多くの専修機関の「いままで靴、今の靴、これからの靴」の技

法と仕事の仕組みについて、その概念と具体的な仕組みについていまだに聞

いたことがない。

既製靴の技法で雇われて仕事をするか、手づくり靴の技法で雇われないで仕

事をするか、修得する技術はこの2つの選択肢しかない。

ひとことで云うなら既製靴の技術領域は、靴に足をあわせる「シューフィッ

ティング」の技法であり、手づくり靴の領域は、足にあわせる「フット

フィッティング」の技法であって、既製靴と手づくり靴の技術は似て非なる

ものである。このことは、いままで云いつくしているので端折るが、このこ

とがわからなければ自律自在に手づくり靴の仕事をすることはできない。

この国の靴産業は、まだ高関税での皮革・革靴の輸入規制で守られているに

もかかわらず、それでも産業としての地盤沈下の歯止めが掛からず、専修機

関から輩出する人たちを潤沢に受け入れる基盤はすでにない。

その規制も国際基準に統合すべく緩和へ向うのは当然の成り行きで、さらに

先細りになっていくのは間違いない。

そうなると中国靴による、イタリア ( 中小製靴企業の消滅 )、スペイン( 中

国靴焼討事件 )、ブラジル ( 基幹産業である靴産業の危機的状況 ) の例をみ

るまでもなく、この国 (日本) は、さらに崖っぷちにたたされるだろう。

世界市場での中国靴は、いまや50%を超えたとつい先頃NHK特番で放映され

ていた。

それでも、すでに機能していない業界とのパイプライン システムに依存する

ことで成り立たせようとする多くの製靴専修機関の存在理由はどこにあるの

だろう。

かっては、製靴技法を手わたす専修機関を「養成機関」と云っていたが、そ

れを「専修機関」しているのは、業界へのパイプライン・システムが破綻し

ている現状では、とても「養成機関」とは云えないからである。

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モゲワークショップは、経済評論の内橋克人と著書「匠の時代」でより良く

生きることの出来ない技術は、それを伝えるべきではない・・・とする言を

支持し、フット フィッティングもままならない規格量産技法を拒否し、業界

とのパイプライン・システムと決別し、いかに生きるかを中心に据えて、手

づくり靴の技術と仕事のカタチを自力でつくりあげ、「自ら在する」人たち

を送りだしている。

面接説明会で手渡すファイルの巻頭は、モゲ ワークシヨップの存在理由と

命題を・・・

靴は [ 歩き ] の構築体ウォーキング テクトニクス [ walking_tectonics]

と考える。

[ 歩き ] の構築体とは、[ 足 ] と [ 靴 ] のいい関係を構築するコトである。

その技事は、靴をつくる技法を修得するにとどまらず、フットフィッティン

グとグッドウォーキングの関係性をつきつめ、歩行時、バランスを整え足

にストレスをかけない技術を内在する前提技術として臨床する、これを手づ

くり靴の領域だとする。

また、足と靴のいい関係とは結局、テクトニック カルチャー [ tectonic

culture ] とかかわってくるので、靴の表象は自分の暮らしにたいする文化の

意識と感性、美意識の豊かさの表現として、けして売る前提で靴はつくらな

い。

モゲ ワークショップは・・・手づくり靴を縦糸にし、横糸に社会とのかか

わりを織り込んだ布で足を包み込み、地域社会に根をおろし、足と靴のいい

かかわりを通して健やかな暮らしのカタチをつくることを願っている。

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面接説明会では、さらにつづけて・・・

この国の靴業界の現状を把握する。

日本だけでなく世界いたるところで中国製が席巻し、それぞれの国の靴産業

を圧迫し、その窮状は目を覆う事態になっている。国際競争力のないこの国

の既製靴産業は、輸入制限の手厚い保護をうけているにもかかわらず、産業

の衰退は年々加速していて次世代を受け入れる環境は増々衰弱の一途をた

どっているのが現状である。

このような業界にあなたは生涯をたくすことができるか。

では、それでも靴にかかわる仕事を望むとしたら、どのように考えていく

か、その選択肢は・・・「既製靴」か「手づくり靴」か。

既製靴と手づくり靴は、技術をつたえる人も受ける人も同じ靴をつくるのだ

から同じ技術だと受け止めているが、これは大きな間違えで天と地ほど違う

ことを知らなければならない。その違いがわからなければ先に進まない。

これが生き方の分かれ目になる。

フィッティングの見知からみると・・・既製靴は履く人の足がなくても、い

くらでもつくることのできる仕事で、つまりだれにも合わない靴をつくって

いるから、いつまでも「靴に足を合わせる」シューフィッテイグの技術領域

から出ることができない。

手づくり靴は、履く人の足がなければ、靴をつくらない。個々人の足、歩行

の差異をくみとり「足に靴を合わせる」フットフィッングの技術である。

既製靴で雇われるか・・・

手づくり靴で雇われないか・・・

いずれにしても生涯やり通せる技術か、やり通せない技術か、選択の条件に

なる。

さらに云うなら、その技術で、望む生き方、仕事、暮らしができるかが技術

の大切な選択になる。

では技術とはなんだろう・・・より良い生き方ができない技術はつたえるべ

きではないと考えている。

今までの靴、今の靴、これからの靴について考えたことがあるか。手づくり

靴は、これからの靴の技術にしなければ意味がない。そのためには、フット

フィッティングとグッドウォーキングの二つを融合させた技術にしなければ

ならない。

とすると、靴は・・・

[ 歩き ] の構築体(ウォーキング テクトニクス [ walking-tectonics] )と

考える。

手づくり靴は、モードやファッショントレンドといった市場での「売り」の

創出でなく、自分の暮らしにたいする意識と感性と美意識の表出が靴の形に

なるはずだと思う。

「モノを売るのではなく、コトを売れ」という言葉がある。モノとしての靴

を売るのではなく、靴をつくるコトガラを売る。

このことは、ともすると靴をつくる技術を身につけると、特別なことができ

ると思いがちですが、手づくり靴の技術はできるだけ平明に噛砕き、、自分

の手で靴をつくりたい人に手ほどきをする。そうでなければ手づくり靴は人

から人へ広がりつながっていかない。手づくり靴は、人と人の距離をいかに

つめるか、そして身じかな人たち(地域)と足と靴のいいかかわりを通して根

をはっていくことが仕事になる。

もちろん歩行が不具合な人に足にストレスをかけないバランスの良い靴をつ

くることも大事な仕事になる。

靴をつくる技法を縦糸にして、横糸に [ 足と靴のいいかかわり ] をどう織り

込みたいのか、そして織りあげた布で [ 社会 = 地域 ] とどうかかわってい

くかが、手づくり靴のつくり手に課せられた大きな役割である。

どうも「玄人」は技術のための技術を精進して、いかに高見にたつ技芸技能

をこれみよがしにするが、手づくり靴は「素人」の領域でだれでも手を働ら

かせればつくれる平明な技法に変換しなければ、手づくり靴の広がりはな

い。

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このような論旨を縦軸に枝葉をつけて、のべ3時間話をして個人別の質問を

うける。

初めから業界とのパイプライン・システムを拒否して個が自律自在に生きる

仕組みを手に託してつくり上げてきたカタチは、これからの生き方の一つの

方位として、たしかな手ごたいをつかんだが、製靴技能専修機関の「職能専

修」は、業界が受け皿 (パイプライン・システム )である前提で構築され、

それが「専修学校」としての主流だとすると、モゲ ワークショップは「専修

学校」としては異端となる。異端ゆえに叩かれるが「専修学校」の看板を

ひっこめて「私塾」として括れば、「私塾」は異端でなければその存在理由

はない。

学校というスケールをダウンサイジングし私塾を手塾に・・・

「手塾・モゲワークショップ」、

「手くつ塾・モゲワークショップ」

として、暮らしに根をはった生涯というスタンスで共生する技術を鍛えてい

くことがだろう。また一皮むけそうだ。

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(初稿) 02/18 pm 06:30

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