2006/ Oct _ 23

膝をおる。(脱稿)10/29 am11:00

脱稿とあらためて記すのは、数日後少し距離をおいて、再度読み返して訂
正、変更、加筆して、この一文に「 。」にすることにある。

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まつたく見かけなくなったものに、駅前の靴磨き職がある。

もの心ついた頃から、突き出したの足元にかがみ靴を磨く姿をみるのが嫌い

であった。子供ながらその形に [ 主 > < 従 ] のもっとも卑屈な象徴的を感

じとっいた。

この図式は靴磨きの形にかぎらずこの社会のあらゆるところで [主 > < 従 ]

の差別・階級関係図となつて見えてくる。

アメリカ映画で観る靴磨きのシーンではとくに嫌であつた、1段2段も高いひ

な壇の位置に客が座る大袈裟な革ばりで肘掛けのある大きな椅子がしつらえ

てあり、客は高い位置から見下し、一瞥もくれづ尊大に構え靴をつきだす白

人種富裕階級。その足元で膝をおってひたすら無言で靴を磨く下貧困有色人

階級。また初めてアメリカに行つた時に気がついたのは、アメリカ大陸に

渡ってきた順に、つまり早いもの勝ちということで、あらゆるものの優先権

を取得したものが上位富裕階層で、名門ホテルのフロントは大柄な白人種

で、遅れてやって来た移民貧困階層は膝をおってホテルの床を磨く小柄な有

色人種。同じ国民でありながら、まさしく 階級格差の具現見て強い不快感を

もつた。

この日本でも近頃「格差社会」「不平等社会」「縦並び社会」などの言葉が

氾濫している。この日本社会の貧富差固定の構造を「階層社会」と規定しは

じめた。

階級という言葉を聞く度に、この靴磨きの姿と重なる。

イギリスは、先進国といわれるなかでも階級社会の長たる国というイメージ

がつきまとう。同じ労働階級でも靴職人は、さらに下層の階級に属し、イギ

リスの靴学校にはアフリカ系、中近東系、黄色系の有色人種で占められイギ

リス人はもとより白人種は皆無だと聞いている。

黄色種とは日本人のことで学校当局は、先進の国と上位に属すると思ってい

る日本から多くの若い人がやってくるのか理解できないらしい。

この若者には日本人みんな中流と思われている階級に長らく身をおいたため

に、階級という抜き差しならない対立の意識がないのは不幸なことである。

不幸とは階級格差を生み出す権威主義と日常の場で闘うということを知らな

いないことである。

「階級・階層」の概念は、社会資源によって区分された社会階層と定義され

るが、上層階級の増大は、より良い社会をつくる人的エネルギーは萎え、固

定し抜き差しなら無い抑圧状況を招き、諸々の予想できない社会問題が起き

るのは目に見えている。

上層階級を嫌悪するのは・・・

革新しいう明日への生きる価値創造する力がまったくないくせに、それ故、

これまでの価値を伝統として保守し、ただ受け売りの能書きを祝詞として、

あたかも至上の価値であると尊大に押し付け振る舞うことにある。

とくにその振る舞いを嫌悪する。

1960年頃から40年かけ、ドレスダウンのパワーによつて、日常の身体性が、

意識が、解放され獲得してきた自由が、今上位富裕層によってドレスアップ

という不自由な倫理規範に引き戻されつつある。商売人がそこにつけこんで

ドレスアップ・マンディーなどと云いだしている。

しかし、この40年かけて獲得してきた自由を、そう簡単に手放すわけにはい

かない。

この流れの中で、尊大で押しつけがましい靴に男もの革底靴がある。

革底靴は、グッドイヤーウエルト・プロセス、ハンドソーウエルト・プロ

セス、マッケイ・プロセスなど、殆どは機械靴だが、手縫い靴とまがう誤摩

化しかしで上層富裕階級御用達のステイタスとしての幻想を、上意下達する

メディア依存靴の市場で、手が介在するには成り立たない市場であることを

知らなければならない。

メディアが、ただの見聞でつくり上げたスティタス幻想という梯子をはずさ

れたら、何が残るだろう。

とくにハンドソーウエルト・プロセスを手づくり靴の一環として習作するの

は理解できるが、たんなる見聞でしかない技術を至上と権威ずけ、その幻想

を「虎の威」として無批判に追随する「狐」がなんと多くなつたことか。

上層階級という越えられない壁の外から見上げる「狐」は、その権威におも

ね少しでも上位ステタスの高見に立ちたいという思いで膝をおるが、所詮、

見下げられるかかわりでしかない。

そのざまは靴磨きの形と重なってしまう。

つくるとは「生きること、暮らしの価値を共有する」ことだと思っている。

なにからなにまで一人で手をつくしてつくるわけだから「生きることの価

値」の共有感をもてない人の靴をつくるのは不快で、とてもつくることがで

きない。

いまや、いちばん抑圧されている下位階層は分断されて、かってのように階

級格差と闘う生のエネルギーを結集する力はない。増々上位階級層は増長す

るであろう。

既存のステイタスなどは陽炎のようなもので、いっか気がついたら霧散して

放り出されるのが落ちである。

そんな幻想の世界にとどまつて、いつまでも膝をおっていないで、靴をつく

り、望む生き方、望む仕事、望む暮らしを自分で考え、アクティブに自立・

自律する生き方を自分でつくらなければならない。

もう、決して人の前で「膝をおる」ことはしたくない、この思いの20年後が

手づくり靴を仕事にするモゲワークショッブの在り体である。

膝をおっておもねず、これみよがしに高見に立たず、暮らしの目線で靴の

「これからを共有」したいと考えると・・・どうも靴づくりを専修し職能と

したい人に手をかしているが、全部とは云わないが、その人たちの権威と称

するものにおもねる事大主義をみせつけられるよりも・・・

暮らしに自分の手でつくつた靴をもちこむ上下の隔たりのない愚直な人たち

と共に靴づくりをするディヤーズの方が、手づくり靴の「素の形」があると

思いはじめている。

暮らしの目線で技術の意味をつきつめていくことを本意とするワーカーズの

考えと裏腹に、ワーカーズの面々のなかに、なぜ手仕事なのか、その意味を

解さない事大主義の「狐」が近頃多くなってきた。

ワーカーズも来期で18期、そろそろ考え直さないとならないところにきてい

ると思い始めている。
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(初稿) 10/23 am 09 : 00

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