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2006/ Feb _ 25

ひとり仕事術。

ここに、なかなか魅力的な表題 「ひとり仕事術」 中本千晶著 b a s i l i c o 発

行がある。

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副題が・・・これから自分の力で生きていこうと決意した人へ会社を辞めてたくま

しくなれる一冊・・・とある。

ページをめくり、書き出しの「ひとり仕事をたのしむために」の一文を要約

すると・・・

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私は 「ひとり」 で仕事をするのが好きです・・・だれからも縛られることな

く、また、誰も縛ることもないという意味での 「ひとり」 です。

ひとり仕事人には「自由」があります・・・もちろん、「自由」 の裏返しと

して、ひとたび自分で決めたことには 「責任」 をもたなければなりません。

自立した 「ひとり仕事人」 たちが、対等で公正な関係のなかで新たな価値を

生み出していく。こうした働きかたは、これからもっと広まっていくことと

思います。

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まったくその通りだと思う。とりあえず。

読み出してみると、たんなるハウツーもので内容が軽く、この程度で、あお

られても 「ひとり仕事」 に踏み出す人は、まずいないだろうと思う。

会社という集団、または組織を離れるが、既存市場に組し、その中でひとり

仕事として独立しようとするのは、単に、集団のなかでの利益分配を不服と

して、個人が利益占有する意図だけでは 「ひとり仕事」 とはいえない。

たしかに市場原理は、個の自由を蔑ろにして巨大資力と集団主義で市場の寡

占を目するが、個が分散することで巨大化に歯止めをかけ、自由を少しでも

手中にする意味はあるが、市場の構造を支えているのは、その 「巨大さ」 で

あって、いくら個が分散しても、巨大構造を支える大企業の 「おこぼれ」 に

預かる程度の自由である。

この国の集団主義 (体育会系といってもいい) の強固さはゆるぎない。

集団主義からの離脱は脱藩とみなされる。かって博報堂を退社するときに、

いやというほど味わったことがある。

脱藩は 「家臣の身で主を見限るものとして」 許されない行為であった。天下

の博報堂藩を辞すとは何事かという、同僚ともどもに白眼視され、まさに脱

藩の心境であった。

集団を抜けだし、集団よりも自由に豊かにふるまう個人を、やっかみもある

が、許してはならないのが集団の論理である。

脱藩し素浪人となり日々の糧すら困窮してこそ 「それみたことか」 で溜飲す

るのが集団主義である。

ひとり仕事を志し集団から抜けだすことの難しさがまず立ちはだかる。

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「ひとり仕事術」の目次に・・・「仕事は自分で創るもの」 という項目があ

るが、この本で示しているのは仕事を既存市場のなかで 「つくる」 という域

にとどまっていて、けして 「創る」 とはなっていない。

「創る」 といえるのは、革新的な業態の創造で、しかもひとりで出来る仕

事でなくてはならない。

既存の市場の仕組みに組しないで、人と人が 「環」 となってつながる

固有の市場をも創る、これが 「ひとり仕事」 の意味であり、中心はあく

まで個の心の自由を損なうものであってはならない。

ひとりで仕事をする、このいちばん大事な方位が、この本にはない。ただ会

社をやめて、いままでの延長線上で、ひとりで仕事をするには、どうしたら

いいかだけである。「ひとり仕事」 は既存の延長にあるミニチュア版では

ない。

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「自分という商品をだれにどうつたえるか」という目次がある。

人は商品 = モノではない。

「モノ を売るのでなくコトを売れ」というなら理解できる。

ひとり仕事は、人為的な限界と、物理的な臨界をこえることはではない。

とすれば「モノ」ではなく「コトガラ = 生き方」を展ずることにしなければ

仕事はなりたたない。

まず自分が、どのような生き方をしたいか、あれも在り、これも在りではな

く、「これが在る」 と、その生きる輪郭をはっきりしめさなければならな

い。すべての方便は、よりよく 「生きる 」ための技術である。

ひとり仕事とは、つまるところ人と人のかかわりであり、そのかかわりを、

いかに深く広げていくかにかかっていく・・・とするなら「ひとり仕事」は

生き方。

仕事。

暮らし。

このコトガラが三位一体でなければ、ひとり仕事とはいえない。

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仕事のパートナーは自分で選ぶ・・・という目次がある。

「だれからも縛られることなく、また、誰も縛ることもないという意味での

ひとりです」 といいながら、仕事のパートナーは自分で選ぶとある。

ひとり仕事は、雇われない、雇わない生き方を選択したのではないか。

この本の内容は、「ひとり仕事術」 から 「ひとりで会社をつくり経営する

仕事術」になっていく。

さらに、ひとり営業、ひとり商品開発、ひとり広報、ひとり人事、ひとり総

務、ひとりシステム管理、ひとり経理、ひとり法務、ひとり福利厚生・・・

とつづき会社の仕組みをそのまま、ひとりに置き換えていくだけの話にな

る。ひとり仕事の仕組みは会社の縮小版ではない。

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ひとり仕事人には「自由」があります・・・もちろん、「自由」 の裏返しと

して、ひとたび自分で決めたことには 「責任」 をもたなければなりませ

ん・・・とある。

ひとりで仕事を、既存の市場の仕組みに依存する以上、その市場のしがら

み、たが、ならわし・・・に縛られ 「ひとり仕事」 でもとめる 「自

由」 はありえない。

つまりひとりで仕事をするには、会社、既存の市場、いずれからも離脱す

る。

「自由」 は、既存の仕組みから脱出しなければ得られない。

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手づくり靴の仕事は、ひとり仕事である。あたりまえである。

既製靴という大量流通の市場は、手づくり靴の市場ではない。

ひとり仕事といいながら、下職を雇わなければ出来ないのは、ひとり仕事と

は言わない。このこともわからない、ばかもんがいる。

手仕事は当然、ふみだす一歩から既製の市場を離脱している。

「靴」という商品を売る [場] でなく

人の集まる [場 ] をつくり・・・

そこで 「健やかに幸せに生きる」、足と靴のいいかかわりを、靴をつくるコ

トガラで人とつながっていく、その広がりを自分でつくらなければならな

い。このことを業態創造といい市場創造という。

暮らしで履く靴を自分の手でつくりたいと集まった人と、

おなじ場で

つくる時間

つくる過程をともにする。

モノとカネを交換するかかわりでなく、

つくるモノを通して暮らしを考えるかかわりを仕事にする、ひとり仕事は、

そのことをしらなければならない。

業種業態が違えば、ひとり仕事の仕組みの形は違ってくるが、手づくり靴で

いえば、「ひとりの手」 で靴を丸ごとつくるから 「責任」がもてるのです。

すでに 「ひとり仕事」をしている人に、靴づくりの技法を手につけて、な

にがいちばん良かったかと問うたら 「責任をもてる喜びを感じています」 

とかえってきた。

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この本は、たんに技能書に終わっている。ひとり仕事はなによりも、生き方

の形を創る、その新たな道筋をつけることである。

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(初稿) 02/25 pm 07 : 30
(脱稿) 02/26 am 01 : 00

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