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2006/ Feb _ 22

倚りかからず。

2月19日、新聞で訃報を知る。茨木のり子さんが亡くなった。

知らない人が多いと思うので、茨木のり子さんについて「フリー百科事典」か

ら出典すると・・・

茨木 のり子 1926/6・12 - 2006/2・19。

本名・三浦のり子は、同人誌「櫂」を創刊し、戦後詩を牽引した日本を代表す

る女性詩人にして童話作家、エッセイスト、脚本家である。戦中・戦後の社会

を感情的側面から清新的に描いた叙情詩を多数創作した。

主な詩集に『鎮魂歌』、『自分の感受性くらい』、『見えない配達夫』などが

ある・・・・・・と紹介されている。

茨木のり子を知ったのは、この一編の詩からであった。

「倚りかからず」茨木のり子 筑摩書房

ibaragi_1

この詩集におさめられている、この詩集の表題とおなじ詩であった。

ibaragi_2

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「倚りかからず」茨木のり子

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくない

ながく生きて

心底学んだはそれぐらい

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

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7年ぐらい前、青山ブックセンターでこの本の前を通りかかったときに、思わ

ず、息をのんで立ち止まってしまった。瞬時にあの頃の心情がこみあげてき

た。あの頃 (20年前、手づくり靴をはじめる前 )、絶望の淵にあった・・・

もともとその性向はあっが、それは自分をとりまく、あらゆるコトガラが

しっくりこないまま、30代以降ひとりで40代の終わりまで、なんとかやって

きたが、どうしても自分がもとめているものに近づけない。

もとめるコトガラは、既成と集団の論理にまき込まれないで、ひとりで自立

自在に自分の思いを生きる形にすることにあった。

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「かたち」

自分の存在が空気のように

「無」と感じ取れるほど あらゆる縛りから解き放され

水の流れのように作為を労せず

「自然」に漂い

無限を蓄え多くの命をかかえこむ

「土」に根をおろし

人が人であることを願い

そんな、

かたちの「場」に立ちつづけたい

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これは、以前メモ程度の殴り書きの自作詩である。

そしていきついた先は「何も無い」ところに出ることだった。

倚りかかるものが「何も無い」ところといいなおしてもいい。

そこから「在るもの在り体」を見直せば、いままで見えなかったこと、気がつかな

かったことが見えるのではないか。

「何も無い」ところに立つ、と言ってしまったが「絶望の淵」に立つと言いか

えることもできる。

そして「何も無い」ところに立つて見えてきたことは、己の身体だけである。

「何も無い」ところでも、己の身体は在る。その身体を働かせればいい。

いままで「頭」を働かせてきたが、その「頭」の働きが己を追いつめてきた。

身体には、頭のほかに、もう一つ「手」の働きがある。「何も倚よかかるものが

無い」ところでも、自分の「手」の働きがある。もういちど素手で、手のうちから

やりなおそう。

そして手の働きが靴になった。靴をつくるだけでなく、「手」を通して、出来るだ

け人と「手」を携えることを心がけよう。

50代に入り、この20年間・・・茨木のり子さんの「倚りかからず」の一節、

「じぶんの二本足のみで立っていてなに不都合のことやある」

この心情は、今、深く実感する。

さらに不遜ながらつけ加えさせてもらうなら・・・

「自分のふたつの手を働かせれば何の不都合のことやある」

詩集「倚りかからず」を手にし去来することである。

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読売の夕刊で詩人・大岡信さんが追悼している。

・・・茨木のり子の詩は、第一詩集の題名を「対話」としたところにはっきり

示されていたようだ。自分の内部に閉じこもってしまうのでなく、外部に向

かって果敢に対話をいどむ姿勢が主導的で、この姿勢は、つづく何冊かの詩集

でも変らない。勢い彼女の詩は解放的であり、場合によっては挑戦的な性格の

ものにもなつてゆく。

つつましく、おっとりとしている詩ではない。

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「自分の感性くらい」茨木のり子

駄目なことの一切を

時代のせいにはするな

わずかに光る尊厳の放棄

自分の感性くらい

自分で守れ

ばかものよ

・・・こんな勇ましい詩をつくった人だが、日常生活は実に控え目で「わたくがわ

たしが」と出しゃばる人ではなかった。

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高田喜佐さん、茨木のり子さん。

同世代の人を支えてくれた人の訃報がつづき、ただ寂然とする。

ご冥福を祈る。

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(初稿) 02/22 am 08 : 00
(脱稿) 02/23 am 09 : 00

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