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2006/ Feb _ 08

本分はどこにある。

このところ、夜出歩かないので、行きつけの食いもの屋のもち駒が少なく

なって人と連れ立つときに難儀する。初見の店は、勝手がわからなくて中々

入りづらいが、だからと言って、どこか居心地のいい店をみつけなければ始

まらない。

週末には、つとめて新しい店の開拓にのりだすが、中々気にいった店が見つ

からない。見つからないどころか、何か様子がおかしくなっているような気

がする。その理由の一つは店主不在の支店経営かチェーン・オペレーション

の店が多くなったことに起因している。所詮、使用人ばかりの店の限界がそ

こにある。

板前店主が切り回している店は、隅々までテキパキと目くばり、客くばりが

効いて、いきいきとした空気がピーンとはって下働きの動きにも無駄がな

い。こういう店は気持ちが透明になって、ひたすら無心で料理を楽しむこと

ができる。

板前店主の人柄、気質、信条、情感、感性が、別に文明化くなくても、そこ

はかとなくにじみ出て、ちぐはぐ感がなく、気持ちのいい、気持ちが和らぐ

店とは、こういう店のことだろう。

本店1店主義で店主がいる「おやじさん」「おかみさん」といえる一人称の店

で生業でなければおもしろくないと思っているが、この時代、評判がいいと

すぐ企業化をはかり、概念化し店舗を増やして、人とのかかわり、味を薄め

てしまう。

手づくり靴は、一人称の仕事でなければならないとするのは、このような

「おやじさん」「おかみさん」がしきっている店から学んだことである。

月一度通う、明治通6丁目の診療所のそばに、気になる和食処があって、おそ

るおそる顔をだしてみる。

060208_1a 060208_02a 060208_3a (店内は重厚すぎて原宿のど真ん中の和食処としては違和感がある店内。やりかたによっては戻り客がいくらも来そうな雰囲気である)

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ほぼ満席でレジ側で10分くらい待つ。店のつくりは申し分がない、期待がふ

くらむ。なぜこの店が気になったかというと、釜炊ごはんと炭火焼とあって

「火」と「水」を主題にした店名で手がき文字の看板がある。文字図らから

は、こちらの勝手の解釈だが、美味なる料理は素材を吟味するのが鉄則だ

が、それを突き抜けて「火」と「水」に行きつく。思わず「いいじゃないで

すか」と思いながらも、もしかして、企画屋が入り込んで、あーでもない

こーでもないと企画を練り上げて、概念を文明化してみたが、実態がついて

こない絵に描いた餅かもしれない、概念だけが一人歩きしてはいないだろう

かとう疑問がよぎる。

待っているあいだ、レジにあるパンフを手にとる、東京に3店舗、大阪に5店

舗、案の定、企業化されたチェーン・オペレーションの店である。

ここで働いている人たちはマニュアルで動いている。

商業主義の概念づくりは、食の時流、食の情緒、食の傾向、食の環境など

それはもう、この手の企画屋は、人の気持ちをつかむ言葉の文明化には、恐

ろしいほど長けている。しかしこの作法は頭を働かせる作業で概念感覚だけ

の表出で、いわばでっち上げにすぎない、実態がない無味の世界といってい

い。モゲが広告、マーケティングの世界を離脱したのはこの繰り返しに嫌気

がさしたからである。

一人だったのでカウンターに坐る。椅子も大型で隣を気にすることもない。

待っているあいだ、働いている人の数を数えると、丸見えの調理場に板前頭

と下働きで2人、客席側には接客係りの女性が2人、合わせて4人しかいな

い。客席は、有に100席はある、そしてほぼ満員である。半分は若い何人か

の連れ立った人たちで埋まっている。原宿は若い人の占有率が高いから致し

方ないが、この店のつくりは、堂々とした大人の割烹造りになつている。店

内は、自分たちだけでないという気遣いがまったく無い若い人たちが蛮声と

傍若無人のふるまいが目に余る。この店造りと出店場所が裏目になっている。

注文はしたが、中々料理が運ばれてこない。それはそうだろう100席をたっ

たの4人できりまわしている。運ばれてくる料理の間隔は気の遠くなるほど間

があていしまう。その料理も仕出し口に置きっぱなしで手元にはこばれてく

るまでには、さらに間があく。暖かいものも冷たくなって運ばれてくる。

しかし誰も気配りする人がいない。まったく無関心なのである。不思議とし

かいいようが無い不気味な空間いる。

カウンターには、いかにも10代とおぼしき金持ちのボンポンが、金にあかせ

て取り巻きを10人位引き連れて陣取っている。

常連の振るまいが嫌みである。落ち着いて席に坐っていない。厨房に入り込

み下働きとふざけ合っている。その常連が何か注文すると間入れず板前頭が

いそいそと料理を自ら運んでいる。贔屓の引き倒しが目にあまると他の客が

逃げてしまう。常連のあつかいで、その店の品格がわかる。

何だこの店は、そこで切れてしまうが、まあーこんな店に入ったのが運のつ

きだ。もしかした異次元に迷い込んだのか ? 不気味な感覚がよぎる。

モゲは若いときに1年位、バーテン見習いをしたことがある。そこで学んだこ

とは、カウンターの巾をはさんで、こっち側とあっち側、つまり客は客の本

分があり、商売する側は、役割としての本分がある、そしてお互いにその本

分を守り、お互いに入り込まない節度をわきまえる距離がカウンターの巾な

のだ。

アメリカ映画で、よく店から用心棒に首根っこと腰のベルトでもちあげられ

て、外にほっぽりだされるシーンがあるが、客がその本分を守らなかった結

果なのだ。カートン (一枚もののマンガ )にもドアからホッポリだされるジャ

ンル・マンガがある。なぜこの客は外にホッポリだされたか、その理由の

キャプションが笑えると同時に納得する。盛り場にも律する暗黙の掟みたい

なものがある。

なにからなにまで壊れきったこの国に、職能職責に始まって、人とのかかわ

りのなかで自分の振るまいを律し本分をわきまえろといったところで、この

ほころびを直すのは手おくれだろう。

今月、ワークアップの一人が、モゲワークショツプからホッポリ出された。

しかし、なぜポッポリだされたか本人は理解できていないだろう。

手の所作は、人とのかかわるりを大切にする、人としてしなければならない

本分があるから、手仕事なのである。

手仕事の意味がそこにある。それがわからなくて、何が手仕事なんだといい

たい。

もはやこの国には、いちばん小さな手の内しか、自分を見いだし、本分を見

いだすしかないと思っているが、それすら危ういことになってきている。

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(初稿) 02/07 pm 06 : 00

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