2005/ Jun _ 27

クールビズに思う。

衣は、公的と私的な場面があるのが当然だが、その境目の線引きがいっも問

題になる。

[公] と [私] の比が50%を境にしてどちらの分量が多いかによって時代の性

質を見きわめることができる。

時代は今、どこにあるか、保守と革新の攻め合い、若い世代と大人の世代の

攻め合い、タテマエとホンネの攻め合い、様々な攻め合いがあるが、要は

「自由」をどこまで容認かるか、 [公] に決定権がある。

しかし1970年に入って「衣」は私的な領域を急速に拡大する。

キーワードは「カジアル」、若い世代が [私] の自由の名のもとに、衣はつく

り手主体から着る側主体に移り、新たな様式を次々と創りだし、このうねり

は何人も抗することができなかった。

およそ30年かけて衣は自由を手中にした。

しかしこの自由も近年、新たな富裕層の出現によって除々に保守化の傾向が

強くなってきたが、30年かけて手中にした自由を、そう簡単に手ばなすわけ

にはいかない。

若い世代の情念は、「若さ」「変化」「挑戦」をこころみ、大人が顔をしか

めればしかめるほど、してやったりとなる。しかし顔をしかめた大人も5 年

から10年もたつと、その様式をとりいれすましている図式のくり返しであ

る。

100年タームでみると、男服はかっての通常服が、つぎの時代の礼装とな

る。ドレスダウンの流れは歴史の必然なのだ。

しかし今や、ドレスダウンの様式は、いくら時間をかけても大人が追随する

ことが出来ない領域になってしまった。

近頃大人が、やたら衣について口うるさくなっているのも、自分たちは手が

とどかないところに行ってしまった焦りもあるのだろう。

カジュアルとはドレスダウンを指すが新たな富裕層は、カジュアルアップな

どと、気持ち悪い訳の分からないことを言い出し、タイとポケットチーフの

アンサルブルという「対」にする、わかりやすいオシャレをソフィスティケ

イトといって得々としている様は滑稽でもある。

オシャレの決め手といわれた、アンサンブルは30年前に捨ててしまつた着方

である。

すでに捨てしまったモノを、またぞろ拾い上げる保守の傾向は、

カジュアル・フライディーをやめて、ドレスアップ・マンディーにしようと

画策を始めている。

やたら文句をつけるまえに、衣は [私] の領域比が大きくなるほど多様な文化

をうけいれる社会の度量と成熟をしめしている思わなければならない。

着ることぐらい自分できめなさいと言いたい。

1970年代、英国で色んな国の人が英語を勉強している語学学校を舞台にし

た人気コメディー番組があったそうだ。そこに登場する日本人は、いつもス

リーピースを着ていて日本人はいつもスーツをきている人種と思われている

日本の側から見ると、階級社会の英国の方が伝統だ古典だといって、

スリーピースを通常服にしているというイメージがあるが、その英国で日本

人がスーツ大好き人間としてカリカチュアされているとは面白い。

手縫い革底靴もこの轍をふんでいるのだろう。

成人男子のスーツ年間購買の数比の大きいほど後進国というデータがある。

記憶にあるのは、日本と韓国は後進国の部類に入っていた。

その韓国でも企業体が衣の秩序が乱れていると懸念を表明して、節度ある服

装を今年から見直すそうだ(6月26日ソウル新聞)。

社会の倫理規範を強めるための公権威の介入はあってはならないことだ。

着ることぐらい自分で決めれよと思う。クールビズなどと官や企業体が音頭

をとらなければ、自分で着るものも決められない。情けないではないか。

「急に寒くなったらどうしたらいいでしょうか」と質問している人がいたが

なにおかいわんやである。

みなさんも経験あると思うが、海外に出ると、どの国に言ってもダークスー

ツにタイといった人に、そうめったに出くわさない。

まだ革命前の王制時代で、たしか1973年頃イランのテヘランに滞在してい

たときに目撃したのはスーツ階級の連中が民族服の人を足蹴りにする場面に

多々出くわした。これでは革命はあるなと感じた。6年後の1979 年、イラ

ンのパーレヴィ朝独裁体制は打倒され革命がおきたとき、スーツは権威の象

徴の記号であると印象づけられた。

みなさんは気がついていないかも知らないが、この国のスーツ組の多さは異

常である。スーツ姿だと何とかさまになっていたが、クールビズの政治家は

裸の王様といつた感じだ。

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メジャーリーグの実況をみていて、いいなあーと思うのは、ナイターの場合

日本では会社帰りの野球観戦の人がいるのでタイは外すがドレスシャツの白

がやたら目につくが、メジャーリーグのスタンドで見る衣の自由度をみてい

ると、この国の庶民の姿に好きなアメリカが見える。

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(田村一男・ブルージュの僧院・松本市美術館蔵)

藤原千鶴から案内がきた、実家を離れ松本市内に居(仕事場)を移したそう

だ。着々と足場を組上げている。素敵な絵のポストカードなので、みなさん

にご披露しよう。

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