2005/ Jun _ 18

チョットひとまわり。

「チョットひとまわりしてきます」と工房を出る。いつものことだ。

ハンズをかわきりに、パルコの地下のLIBURO、渋谷駅前のツタヤ、青

山ブックセンター、骨董通りスターバックス、これがひとまわりのコー

スである。今日は午後7時から青山ブックセンターで「徹底討論・デザ

イナーは今どんな場所にいるか」というテーマにひかれて拝聴する。

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向こう側に座っている人たちは、柏木博、臼田捷治、原研哉、戸田ツト

ム、鈴木一誌の面々である。

お目当ては原研哉と柏木博、原研哉は五感の覚醒「HAPTIC」と混沌の

マネージメント「FILING」の話題作をたてつづけけに上梓している。

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感触的なあるいは感触を喜ばせる、感覚の希求を起点としてモノをつく

る。モノの側を考えるのでなく、それを感じ取る感覚の側を注視する。

「デザイナーは今どんな場所にいるか」その場所の経緯を明らかにし

ようとするグラフイックデザイナーの一人だと思うからである。

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(左は、柏木博と中村好文共著の「普請の顛末」。右は中村好文著の

「住宅巡礼」。この本は中村好文の原点しいうべき著書。

ル・コルビュジエの「小さな家」をはじめ住宅として見るべき8軒のを海外に

訪ねあるいたフィールドワーク・ノート)

柏木博は、これからのことより、これまでのことに軸足をおく評論家

でそれほど面白いと思つたことがなかつたが、自宅の普請を、私も注意

して仕事ぶりを追っているいる建築家・中村好文に依頼している。

中村好文は「いい住宅というのは人に無理をさせない。住宅としての価

値が高いことは当然だが、普通に暮らせることが大切なんだ。普段着み

たくね」というこの姿勢で住宅だけでなく家具、器など暮らしのここち

いい用具を送り出している人で、エッセイストとしても多くのファンが

ついている。

互いに一家言のある同士が、柏木博は施主の側から、中村好文は施受の

側から、普請の顛末を交互に本音をぶつけあいながら普請を進める仕掛

けになっている。物語としても面白い。一読をおすすめする。

依頼する側と依頼される側が、お互いにわかりあえる言葉の持ち主であ

ることが羨ましい。注文靴を今休止にしているいちばんの問題は、この

言葉が持ち得ないことである。技術と伝える言葉の等価であることを痛

感している。

あとの人は馴染みがない。この企画は「d/SIGN」誌の10号企画だそう

で、このトークショーは後日「d/SIGN」に掲載されるそうだ。本の装

丁家が2人はいっていて、本の装丁の楽屋ばなしがながく、お目当ての

原研哉の話につながらなくて、冷房の効きすぎもあって早々に退散し

た。

「デザイナーは今どんな場所にいるか」この座位を明確にしている人を

紹介しておこう。ずっと「追っかけ」をしている人たちである。

今、いちばん注目しているのが、しばしば紹介している深澤直人であ

る。「広告批評」の6月号で「深澤直人の仕事」の特集。

それから大橋あゆみさんが編集発行している「Arne」の12号で「今一

番魅力的なプロダクトデザイナー」として紹介されている。

何の雑誌だったかスクラップに添え書きを忘れてわからなくなつたが深

澤直人の言葉を紹介しよう。

入り口は色々だが、原研哉、深澤直人、隈研吾、川俣正の方位は間違い

なく、分野は違うが、つくり手の像をむすんでいる。

「手づくり靴のつくり手は今どんな場所にいるか」。

私も一貫して、この場所を求めて来た。私なりに場所を見つけられたと

と思っている。思い悩んだとき、この4人の言葉にどれだけ勇気つけら

れたか計りしれない。

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文・深澤直人・・・

「日常の生活の中に普通に存在しつつ、何か遠い感覚を呼び起こすよう

なデザインをしたい。

当たり前でありながらその価値に気づくようなことで、

無いものを得た喜びてせはなく、

在ることを知った「気づき」の喜びである。

最近は皆、脳で感動したがっている。

感動は思考によるものだと思い込んでいる。

だからいつも新しい思考を求め、

つくる側はデザインに意味を持たせようとしてしまう。

感覚を呼び起こす記憶は、たとえそれが視覚的なものであったとしても

脳の記憶てはない。

身体的な視覚の感触である。

環境のリアリティを感じとれるということは感動である。

実在するもう1つの世界をみる思いがする。

だぶん身体の感覚が喜ぶようなデザインは意識的なものでないから日常

生活のなかで余計に突出しない。

余計な存在感のないデザインがいい。

作者の意図が見えにくいということは、受け手の解釈に広がりや自由度

ができるということで、「いいなぁ」という気持ちの理由は受け手側に

委ねられ、それが作品に深みを与える。

説明のつかない感覚の合意こそデザインの価値だ。

デザインは自分側てせはなく、向こう側にあるという感覚を持つように

なってから、環境の中にある人の行為の残像を通して「モノ」「コト」

が見えるようになった。

デザインの痕跡を残さないということだ。デザインをやりすぎると受け

手の意識に触れる。

人もモノも意識的であることは最も美から遠いことだと思っている。」

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隈研吾・「負ける建築」から

象徴にも、

視覚にも依存せず、

私有という欲望にも依存しないで何が可能かをさぐっていきたい。

「強い」建築をたちあげる動機となった、それらすべての欲望から、

いかにしたら自由になれるか・・・

特出し、勝ち誇る建築でなく、

地べたにはいつくばり、

様々な外力を受け入れながら

しかも明るい建築というのがありえるのではないか。

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鳥肌がたつ言葉だ。

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川俣正・「アートレス」から

きわめて日常的に、

普通のことを普通に行っていながら、

すごく普通でないことは何か。

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「Arne」の12号にはモゲのOBの「mar works」の小島章栄が

「あの茅ヶ崎にいく」特集で紹介されている。

私も手づくり靴を始めて間もない頃に、大橋あゆみさんの取材を受けた

ことがある。2代にわたつて取材をうけるとは今昔の感にしたる。

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