2005/ Jun _ 14

希望という平地 20

「自分で考える」「自分で考えることができる」

このことが出来なければ、何もはじまらない。

何かに出会う、感動する、なぜ感動したのか考えてみる。考えると自分

の諸々の想いと重なり合うことに気がつく。気がつくと、そのことに

ついて、さらに考えるようになる。段々、ことの起こりを読み取ること

が出来るようになる。

しかし、自分で考えることが出来ない人が、かくも多いことを嘆かざる

をえない。

若い男が注文にくる。自分は、いかに海外のブランドに精通しているか

得々と披露する。

そのブランドの靴を所有して自分の身体を通して感じとった事ならとも

かく、持ってもいない、まして履いたことのない靴を、「売り手」の言

い分を真にうけて評価するスポークスマンもいるくらいだから、とやか

くは言えないが、面倒で聞き流していると、「靴をやっていて、このブ

ランドも知らないのですか」となじられる。

「ブランドの話はそれぐらいにして、靴の話をしよう」というと、

「・・・」怪訝顔になる。

「君のはブランドの話で、靴の話ではないよ」と返す。

靴について、自分で何も考えたことがない。何も話せない。

ブランドの情報通が靴のエキスパートだと思っている。

靴の仕事をしようとしている人でも、このような人が多いのは、もはや

お手上げである。(ホントウに多くて嫌になる)

売る意図をもって流される情報を読み解く能力がなく、ただ鵜呑みにす

る人たちがいる限り、情報を流す側にとっては幻想をいつまでも振りま

き、再生産し現実のものとしてしまう。幻想か現実かの見境がなくなる

売る側はしてやったりだろうが、手を働かせ靴に想いを馳せていると、

この茶番劇の馬鹿さ加減が三文芝居よりも面白い。

注文に来た、若い男は早々に退去を願う。

注文にきたのか、受け売りの知識を披露しにきたのか、わからないこん

な人たちがいちばん困る。

手づくり靴は揉み手、低腰で、「はい、はい」とつくることができな

い。

かかわりをもちたくない人の靴はつくれないのである。

注文の依頼があると、モゲワークショップは「こう考えて靴をつくって

います」というペーパーを送付して了解をとりつけてから予約をとって

来てもらう。

ペーパーには、お互い会話がなりたつように仕組んである。自分しか

わからない言葉のやりとりでは靴はできない。

注文靴はつくり手だけがつくるのでなく履き手もいっしょにつくる姿勢

がないとお互いに満足いく靴はつくれない。

注文靴を願う人は・・・

既製靴では具合の悪い人。

足になんらかの問題をかかえていて歩くのがつらい人だ。

足の問題も、痛みをともなう疾患がある場合は専門医の診断が優先する

靴屋は靴屋の分際がある。今の世の中、分をわきまえるタガがはずれて

久しいが、医学的知識と足底挿板の技術をチョットかじると、白衣など

を着て医者まがいの

いでたちで仕事をする人がいるが、いい加減にしなさいと言いたくなる

先の若者といい、医者まがいといい、事大主義者とはかかわりたくない

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