2005/ Jun _ 11

希望という地平 17

もう一言付け加えよう。ブロク゜のいいところは、前日の分を読み返し、補足す

ることができることである。補足が補足を誘い「希望という地平」が、この回で

17になってしまった。今のところ、まだどれほどつづくのか本人もわからない

のがいい。

「若手靴職人 SHOES + ART 作品展」のことになるが・・・

つくり手とモノと履き手がこの関係図のなかで、どうかかわっているのだろう。

かっては、つくり手は、その時代の、その社会の欲望 の多様な様式を提示し、

そのどれかをステキと感じ、その様式を「模倣」する「欲望」が時代のエネル

ギーであった。

暮らしをもつ人にとって、不幸なことは、この「若手靴職人 SHOES + ART 作

品展」が、微塵も 「欲望」 しないのである。「模倣」する気も起きないのであ

る。

社会での優位の充足を「モノ」にもとめる外向きの欲望が、今ひとつの社会的な

潮流になっているが、この傾向は営々と現存していて、べつに新しい現象ではな

い。

それより社会とのかかわりを、暮らしの「質」と「素」の細部に目をむけて、

「すでにはじまっている未来」にたいして、何をどのように編纂して方位を定め

ていくかの内向きに「欲望」する。

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その一つの答えが「手づくり靴」である。

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「現代社会は、いわば人々が、お互いにモデルにしあってるような社会だ。そこ

では、人々はお互いをモデルに模倣しあう。このお互いの模倣から欲望が発生す

る。」これは佐伯啓思の「欲望と資本主義」副題が終わりなき拡張の論理・講談

社現代新書・¥720から抜粋である。

050611s

さらに、モノには[物的特性]と[イメージ特性]があるとしたうえで、イメージ特

性とは、社会的に共有され、付与する価値、でなければ意味がない。

私が、「モノでなくコトガラ」だと言うのはこのことをさしている。

人は「欲望」するから、モゲワークショップに集まる。

人は「模倣」したいから、モゲワークショップで手で靴をつくるのである。

「シューフェア」も「「若手靴職人 SHOES + ART 作品展」も仲間うちの人た

ちが、ちらほら影だけが点在しているに過ぎない。

もはや人が集まる欲望も模倣もないということだ。

ここには「すでにはじまっている未来」をしめす道標は、朽ち果て方位すらわか

らない。

あなたたちは、なにを頼りに旅をしようとしているのか。

つづく。

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