2005/ Jun _ 09

希望という地平 15

私の名刺には、肩書きというほどのものはなく、ただ「クツのつくり手」と記し

てある。

このところ、一文を記するときに「くつ」を漢字で「靴」と書くが、ちょっと前

までは、但し書きをつけてカタカナ文字で「クツ」としていた。

いちいち但し書きをつけるのが面倒になって今は「靴」としている。「仕事」も

「シゴト」と記していた。

「仕える」、「靴」の業界、「靴」の職人、「靴」にまつわる古い概念、から離

脱したことに起因している。

肩書きに固執するのは、集団主義にとって肩書きが、ただひとつの自己証明であ

るのだから、もっともである。

よく靴のつくり手と名刺交換するが・・・

「シュークリエイター」「シューマイスター」「靴匠」「靴作家」

そうそう「スキル・オブ・アーチザン」なんて言う凄いのもある・・・

・・・など色々だが、期するところ既存の仕組みでの自己証明に、躍起になって

いるのだなーと思ったりする。

「クツのつくり手」と靴をカタカナ文字にすると、集団から離脱し個の論理にた

ちかえった、このサバサバした、一介の素浪人といった趣きが好きなのである。

何事も「素」にならないと、何も見えてこない。

肩書きにこだわっていると、そのこだわりに取り込まれて、にっちもさっちもい

かなくなる。

取材の人が「クツのつくり手」では重みがないといって、わざわざ「靴作家」と

記してくれたりする。そうか肩書きは重みが必要なのだと、改めて教えられる。

あるTV局の企画の打診があって、何が何でも、誰かさんの肩書きのように

旧い靴職人の「靴匠」のイメージでなければならないらしい。

そうゆう筋書きの企画である。

私の提案は、全国にちらばって、靴に自分の想いをたくして工房を立ち上げて

いるワーカーズのOBを訪ね歩くというものだったが却下され、企画は流れた。

シューフェアで併設された、若手靴職人 SHOES + ART 作品展に出品して

いる人たちは、いずれにしても重々し、耳あたりのいい、自己満足できる肩書き

に殉じていくのだろう。これから5年10年、この人たちがどうなっていくか見

定めなければならない。

つね日頃、この人たちに手づくり靴を仕事にする未来はないと言っている。

なぜ言い切れるかと言うと、過去40年、靴作家とかシューデサセイナーの道筋

をたどった人たちの行く末を見ているからである。

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時代 (人々の意識)は、もうそんなトコロにはいない。

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だから早々と離脱したのである。

だから早々と逃走したのである。

だから「クツのつくり手」なのだ。

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だれでも自分の履く靴を自分でつくれば「クツのつくり手」になれる。

つづく。

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