2005/ Jun _ 06

希望という地平 12

境界のそれまでの仕組みの小手先を、ちょっと変えただけだったが、それでも靴

業界で、ある時期、指導権をにぎった企画問屋も、所詮業界という境界内の業態

創造ではあった。

パプル後、産業の体をなしていないとは云え、その構造がゆらぐと小規模資本の

企画問屋は崩壊した。

業態創造も、その業界の仕組み内に留まっている以上盤石ではありえない。

企画問屋の経緯は前述したのでふれないが・・・

私はバブルに背を向けて、いち早く業界から離脱した。業界の境界線の外に出

て、「手」になにもかにも託し「自由」という新たな仕組みを創る。

業界を離脱するとは、靴をモノ = 商品とする仕組みからの離脱を意味し・・・

モノよりコトづくりを「手」に託した。

仕事とは、売る仕組みに仕えることではなく、コトに仕えると書くではないか、

さらにシゴトとは私事とも書くことができる。

仕事は私事であり、コトに仕える事である。これを仕事にする仕組みをつくるこ

とが業界の境界線を越えことになる。

あなたが業界の境界線のそとに出たとしよう。さてどうするか、考えてみるとい

い。はたして答えがでるか。

「手」に託し、手の内で、一人で靴を丸ごと、履く人の足に思いをかけ、手をつ

くして、つくるとしても、せいぜい月に5足もつくることができたら御の字であ

ろう。それでは暮らしの糧にはならない。仕事にならない。

さてどうする。

人を使うでもなく、売りモノをつくるでもなく、一人で、手の内の小さな所

作で、どれくらいの収入を獲得できるか、あくまでも結果であるが、業界から離

脱しても、自分の仕組みどれくらいお金がついてくるか、そのことも手仕事が仕

事になるひとつの証でもあり挑戦でもある。

年500万をまずクリアすること、そして1000,万、3000万、5000万、8000

万、1億、まあ際限はないが、個というたちばんちいさな単位で、しかもさらに

小さな単位である手に託して、収入を得ることが第一義ではなくあくまでも結果

として、どこまでやれるか、仕組みをつくったからには実証しなければならな

い。

業界を離脱しなさい。

自分で仕事になる仕組みを自分の手だけにに托しなさい。

売りモノを一切つくらないで。コトガラをいっぱいつくりなさい。

そしてなにより自由で在りなさい。

と言ったところで、仕事にならなければ絵空事で何の意味をもたなくなる。

私は今期、7500万に在る。

これも手仕事である。

つづく。

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