2005/ Jun _ 02

希望という地平 08

1985、荒涼たる地平を離れ、手に希望を託し希望という地平にむかって旅

たった。一人旅である。

しかし手に導かれ、手に教えられ、手が教えてくれた道筋に沿って歩いてき

た。旅の道中で出会った人たちにささえられ、ここまで歩いて来た。

人が集まる、なにも物理的な [場] というわけでなく、価値のとり体に共感

できる [場] という意味である。

その [場] とは・・・

集団の力を頼るより、個人が力をもつこと。

既存市場を否定して、暮らしに身をおいた自分だけの市場をつくること。

遠いかかわりでなく、手がとどく距離までつめてかかわっていくこと。

本音で仕事ができること。

頭で考えるのでなく、手で考えてみること。

自分のペースで仕事ができること。

何よりも、手でつくる心地いい時の流れを大切にすること。

自分の履きたい靴を自分でつくる人たちと、同じ場所で、同じ時間を共に

し、つくる作業工程を互いに見極めながら靴を少しづつつくっていく。ものを

つくるとは、こういうことなのだと気がつくこと。

なによりも、手づくり靴は身体を気遣ってつくるもの、だから靴は靴をつくる

技術ではなく、フィッティングを導く技術でなければならないとすること。

手の内でつくるものは、暮らしの用を美しいと思わなければ、つくる意味がな

いと思うこと。

自分でつくれるものは、自分でつくり暮らしをゆたかにしていくこと。

自分でつくった靴を履いている心意気が、人に伝わる共感を大事にすること。

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そしてなによりも自由になること。

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今、いちばん欲しいと願う、コトガラが、

みんな手の内に在る。手の内には仕事も在る。

仕事(シゴト)だれど、私事(シゴト)が仕事になる。この意味がわからなければ

手仕事にはならない。

今、述べてきたコトガラは、仕事の仕組みでもあると気がつかないと手づく

り靴の仕事はできない。

なぜ、このコトガラが仕事の仕組みなのか、明日までの宿題にしよう。

今靴の技法を手につけている人は、分業職手になるためではないはずだ。

しかしあなたたちが手につけようとしている技法は、業界では分業職手になる

技法なのだということが、なぜ分らないのだろう。

既製靴だけをつくる技法では、一人で手づくり靴を仕事をする可能性は99%な

い。だから靴難民になり靴亡者 (生き方に迷よいのある人の意) となって荒涼

とした地平の淵で喘いでいる。

つづく。

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