2005/ Jun _ 01

希望という地平 07

手の内の小さな世界だが、その小さな [場] に人が集まりはじめた。

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1990年、ひとりの注文客が、作業している手元をじっーとみつめて 「私も自

分でつくってみたいわ」 と言い出した。 「じゃあ、手ほどきするから、この注

文した靴を自分でつくってみるる。」

出来あがった靴をみて、私もつくった本人も、その出来映えにびっくりした。

ディヤーズのはじまりである。

1990から1992年にかけて、自分の手で、自分の履きたい靴がつくれると、

靴や服の業界で企画の仕事をしている人たちが口込みでまず集まってきた。

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(写真左の円で囲っている左・15年デイャーズに通いづめの三浦幸子、真ん中

がベンチワーク・スタディーの大川由紀子、右がワーカーズを手導している

大平由紀子。右の写真には、「こびとのくつや」の酒井ムツ美がいる。懐か

しい風景)

(下の写真は、機械類も増えて、だんだん工房らしくなってきた。)

なぜ集まってきたのだろう。はっきりこうだから集まるというより、何か抽象

的なものを感じとったのだろう。靴をつくることが引き金にはなっているが、

例えば・・・

集団の力よりも個人の力をためしたい。

市場のに身をおくのではなく,暮らしに身をおいてつくることをしたい。

遠いかかわりでなく、手がとどく距離までつめてかかわっていく。

仕事は建前でやっていても、ここては本音でつくれる。

頭で考えるのでなく、手が教えてくれる。

自分のペースでことが運べる。

何よりも、手でつくる時間の流れが心地いい。

同じ場所で、同じ時間を共にし、つくる作業工程を互いに見極めながら靴が少

しずつ出来ていくのがいい。ものをつくるとは、こういうことなのだと気がつ

く。

なによりも、靴は身体を気遣ってつくるものだと、はじめて知る。

暮らしの用美こそ、美しいと思うようになったのが、うれしい。

ものは買うものではなく、自分でつくれるものは自分でつくる暮らしに目がむ

くようになった。

自分でつくった靴を履いている気持ちが、人に伝わって共感されるのがいい。

・・・こんなコトガラに人が集まりだしたと思った。

手でつくるとは、こんなコトガラだろう。

このことがほしいから手づくり靴を始めた。その想いが伝わっていくのがうれ

しかった。

みんな望んでいることが、この [場] に在る。人が集まる [場] をつくることだ

と教えられる。

教えられることの大事さに気づく。

教えられて目の前がほんの少し拓けてくる、この方位に沿ってこの15年歩い

てきたらこうなった。

コンセプトやポリシーを振り回して、ねじり鉢巻で頑張ってきたわけではない。

長い間、コンセプトだポリシーだとコンセプト・ワークに身をついやしていた

仕事のやり方の虚しさを思い知らされる。

コンセプト・ワークを説明するのに持ち出すわかりやすい話がある。

靴の企画の仕事をしている人に「コンセプトってどういう意味で使っているの」

と聞いたとき、即、「でっちあげのことでしょう」と返ってきた。

まさしく、「売る」前提の仕事は、すべからくでっちあげるのである。

そういう仕事で、自分が「壊れそう」な人が、この [場] で、自分の手を働

かせて、自分を取り戻したくてきているように見える。

つづく。

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