2005/ Mar _ 28

石田光江語録

石田光江 (ワーカーズ 2 期生)

日曜日の朝日新聞の朝刊に5週連載された石田光江の「手仕事紀行」が終わったので、内

容のボイントを語録としてまとめてみた。

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「革にそなわっている性質でね、木型に添ってくれて、靴になるそこが面白い」

「革をなだめるように少しづつ木型に添わしていく、履く人の暮らしのなかで良いものに

なりますように、と願いながら」

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「靴のサンプルってないんです。どんな場面で履くのか、何が欲しいのか話を聞いて、

一緒に考えるようにしています」

「先の細い靴、ヒールの高い靴はつくりません。歩く機能としてダメやし、毎日、具合

よく履くことに責任がもてないから」

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「足がないと、ようつくらない」

「自分の子につくり、履いている様子を毎日、目の当たりにし、暮らしの場面を思い浮か

べてつくりあげる意味を実感するようになった」

「親のつくる靴より、大きいほうの子は、キャラクターものやスニーカーが気にいってい

る。つくった靴にキャラクターをつけても、イヤといわれる。靴ってそういうものなんで

すね」

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自分の手を通すと口にのぼるのは自然で石田だけの体温がつたわってくる言葉になってい

る。

つくづく、石田は、まぎれもない手づくりクツのつくり手なのがわかる。

この 「まぎれもない」コトができる人は、見渡してもそう多くはない。

「手づくりクツをシゴトにしています」と云っても、手づくりクツとは云えない、どこか

危ういトコロがあって、その分、人とのかかわりを希薄にしている人もいる。

手づくりクツは、暮らし向きの用美のなにものでもない。

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「足がないと、ようつくらない」・・・

本来クツは、足がなければつくりようがないはずなのに、足がなくてもクツがつくれるの

は既製靴になる。足がなくても靴をつくるコトになんの疑問も感じないのは、もはや手づ

くりクツのつくり手ではない。

手づくりクツと称して「○○展」をみとめないのは、展示してあるクツには、足がないか

らだ。

やるなら「玄関展」だよと云うのは、「玄関展」には、つくり手の足があり、暮らしがあ

る。

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このコトがわかると手づくりクツで作品は意味がないし、作家気取りは手づくりクツの意味が分かって

ない人というコトになる。

そのコトが 「靴のサンプルってないんです」につながっている。

親が子供の足に思いをかけてつくっても、子供は市販のキャラクターものに目をみはるの

は、足のコトとはかかわりのない「売り」の手管に徹する商売人の悪知恵をなんとかしな

ければならない。

この図式は、モードだトレンドだと浮身をさらす大人も同じコトだ。

今、子供の足が危ないコトになっている。子供のクツと親のクツこのコトから足の問題を

なんとかしなければ、この国のクツ文化は、また遠のいてしまう。

石田の子供も、きっとそのうちに、自分のクツを自分でつくるようになるのは間違いない。

まぎれもない石田光江は、京都の地で益々、人とのかかわりを広げていくコトだろう。

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