2005/ Mar _ 26

「あいまい」という呪縛  

あの山の向こう側を知らない、知らされない、向こう側に行くなんて考えもしないで生涯をおわる、

そして囲われた土地にへばりついていなければ生きることができない、この状況での生きる技術は、

「いかに波風をたてないで生きるか」 となる。

大江健三郎がノーベル賞の受賞スピーチの表題を 「あいまいな国、日本」 とし日本文化の特性を語っ

たように、山の向こうのコトがも手にとるように分かる、行ける、高度情報化社会と云われながら、

「あいまい」 という生きる技術が、私たちに拭い去りようが無く沈殿したままだ。

波風をおこすコトガラは徹底して排除される。

私たちが今閉塞のなかにいるのは、この「あいまい」を美徳とする仕組みにあぐらをかいているからな

のだ。

私が、手づくりクツで、あえて養成機関に波風をおこすのは、この閉塞の息苦しさをなんとかしたい強

い想いからだ。

「あいまい」 と同意語に思っているのに 「あたりさわりがない」 がある。

人が集まる、「あたりさわりがない」雰囲気が心地いい。人と出会う、ここにも 「あたりさわりがな

い」 会話が心地いい。

思うのだが、「あいまい」 「あたりさわりがない」 このコトが私たちの社会を今いかに蝕んでいる

か。

いままでの仕組みに疑問を呈し、新しい仕組みに組み替えをする、ひとつ一つ丹念にしていく。

ことクツにかんして、私はこの組み替えを着実に実践技能の体系としてつくってきた。

もう、そろそろ 「はっきりさせようよ」・・・

とくに養成機関には、「既製靴」 と 「手づくりクツ」 のシゴトができる技能を 「はっきり」 させよ

うよと云いたい。

「あいまい」 と 「あたりさわりがない」 このコトをそのままにしておくと、

即席養成機関は、揉み手の上澄み情報を垂れ流し、すでにアミューズ・センター化が始まっている。

「はっきりさせよう」。

このキーワードで、私は、さらに波風をおこしていこうと思っている。

カテゴリー:日々考日 | Edit