2005/ Mar _ 23

注文クツの木型

木型を必要としないクツづくりの手法もあるが、大方のクツは木型がないとクツはつくれない。

木型は、クツの技法によって違いがあり、つくるクツのカタチによっも違ってくる。

足と歩行にかかわる理解の深度によっても違いがあり、

クツにとりくむ姿勢の違いもでるし、

なによりもクツのつくり手の哲学がおおきく影響する。

何がいいたいかと云うと、Aがつくった木型はAのつくるクツにとって有効であって、

つまりBというクツのつくり手が、Aの木型でクツをつくるコトは出来ない。

Bは、Bが手がけた木型でしかクツはつくれない。

手づくりクツは接ぎ木するコトはできない。

もし平気でつくるとしたら、無神経なその程度のつくり手だというコトだ。

よく注文客が、別の注文クツ屋でつくったクツの木型をもってきて、これでつくって欲しいと云われる

場合があるが、「その木型は、ウチにとってまったく意味の無い木型」と云って一切つくらない。

木型をモノとしてしか思っていない、その程度の注文客は、「それでは、木型からつくってください」

なんていうコトは無いし、後々、不愉快なコトになるのが目にみえているので、断固、拒否する。

持ち込まれた木型は、つくったトコロのDNAがあり、クツを人体に例えると、よその木型は、臓器移植

とおなじて当然、拒否反応をおこし、人体の生体維持にかかわってくる。

代金済みなのだから、自分の木型だと勝手を云う注文客がいるが、

木型とクツとセットで、別々に切り離すコトはできない。

注文クツの木型は、

出版者 (注文する側) が、

あるテーマについて執筆者(注文を受ける側)に、

原稿 (クツ) 依頼、

その原稿 (木型) の著作権は執筆者 にある、

と説明すると分りやすい。

著作権は木型のつくり手にあり、注文客のものではない。

くどいようだが、クツと木型はセットである。

お金を払ったのだからと、木型の意味を知ろうともしないで、所有権は自分にあるとゆずらない人は、

木型をわたして、それまでの縁というコトになる。

このように、クツ屋を軽視する振る舞いをする人が結構いて不愉快になる。

注文クツをつくるときは、病院へ行くときと同じ手順をふんでくださいとお願いしても、

勝手気ままな人が多い。

軽視の遠因は、クツは土足というコトもあるが、低腰、揉み手、お世辞でいい加減なクツを売ってきた

クツ屋の問題もあるが、その根底に獣へんを扱う生業のへ差別がある。

現に、ディャーズでクツをつくっている人が親に云ったところ、「獣へんを扱う所なんかに出入りして

いるとお嫁にいけなくなる」ときつやめるように云われたそうだ。まだまだ身じかに差別が残ってい

る。

よく、「客にむかってなにを云う」という態度をとる人もいるが、注文クツはそんな態度をとる人のク

ツはつくれない。

注文クツで「一緒につくる」姿勢をもとめるのは、つくり手も履き手も満足できる真っ当なクツをつく

りたいからだ。

注文したいと問い合わせがあると、ここでは「クツをこの様に考えてつくっています」という印刷物を

送付して、了解してもらってから予約をとるコトにしている。

まず、10人中、9人は無しのつぶて、でもそれでいいと思っている。

木型は何足もクツをつくるプロセスの中で、不具合をさらに手をかけて木型になっていく。

木型は、たんなるモノではなく「生きもの」なのだ。育てていくものだ。

モノとしてのやりとりは出来ない。

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