2005/ Mar _ 22

難民と遊民

広辞苑によると・・・

[難民]とは、戦争・天災などのため困難に陥った人民。特に戦渦、政治的混乱や迫害を避けて故

郷や居住地以外にでた人。

つまり漂泊彷浪の身になる。ひらたく云うと、国、故郷といった祖から永々とひきついできた生き場

を失って、さすらい歩くコトをさす。

「遊民」とは、職業もなく遊んで暮らしている人。のらくら者。広辞苑のこの項については、もうちょ

っと何とか掘り下げた解説あってしかるべきだと思う。

杉山二郎著 「遊民の系譜・ユーラシアの漂白者たち」 に詳細に述べられているが、「遊民」とは

遠くユーラシア大陸、中央アジアからの流れがあり、アウトローとして見据え、僧侶、宣教伝道の

徒輩、遊侠、遊芸の徒まで視野にいれている。

これも、ひらたく云うと、つねに移動しながら生きるシプシーのように、遊芸、手工芸、音楽などに

独自の伝統をもって放浪生活をする人をさす。

もう一つよく知られているのは、漱石の作品にでてくる 「高等遊民」がある。

明治のおわり頃、高等教育うけた資産家の子弟が、資産があるので働かなくてすむと、括弧つき

で「高等遊民」といわれていた。当時の世相を比喩した造語だろう。きょう日のパラサイト・シング

ルに似ている

高等とは強者のもの、遊民とは弱者がなんとか踏みとどまる処、なんで遊民が高等なのか理解

できない。

なぜ 「難民」 と 「遊民」 を持ち出すかというと、この3月、多くのクツづくりの養成機関から、

どっと技法取得者がトコロテンのように押し出されてくる。

既製靴という規格技法を取得すると、行き先は既製靴業界の分業職手として帰属するのが順等

だがその帰属すべき居住地がない。既製靴の規格技法では居住地外に出たところで「約束の地」

はない。

帰属消失が靴難民を生みだしている。

「良く生きる技術」でなければ、これを伝えてはならない。内藤克人のコトバは、私たち技法を手わ

たす者にとって重いコトバになっている。

既製靴の技法か、手づくりクツの技法か、もうこの辺ではっきりさせようではないか。

既製靴技法の本質は、個々の身体差異を規格化しなければならない技術だし、

手づくりクツの技法は、逆に個々の身体差異を個別につくる技術になる。

わかりやすく云うと・・・

既製靴は足がなくても靴はつくれるが、手づくりクツは足がないとクツはつくれない。

既製靴は集団分業でつくるが、手づくりクツは丸ごと一人でつくる。

手づくりクツのシゴトと既製靴の仕事のやり方は、同じ靴でも相容れない技法の違いがある。

この違いが、既製靴の分業職手の先達はわかっていない。靴難民化の元凶として指弾されるべき

はこの人たちである。

去年の6月、農的クツ職人・北川哲生 (銀河靴工房 ・3 期生 )が世話人の

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[くらふてぃあ・杜の市 / 手づくり工芸 i n 駒ヶ根 ]にでかけた。

かなりの数の小間テントが軒をならべ、手づくりモノが溢れ返っていたが、いちばん惹かれたのは、い

わゆる「大道芸人」たちであった。

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「なんだ、手づくりクツのシゴトを独りでやっているが、心情はこの人たちと、ちっとも変わらな

い」

考えてもみてください、手づくりクツという「技」で、独りで、素手で、世の中をわたろうとするわけ

だから、「クツ遊民」 と呼ぶべきではないか、想いつつ終日、大道芸人のそばを離れなかった。

「技」はつくりあげ、年季がはいると固定し権威にしがちだが、

手づくりクツは、時代に即した、あくなき「技」を追い、変革する、「さすらいの求道者 = 遊民」であ

りづけるコトでなかろうか。

「遊民」 と 「難民」 のこの隔たりは、ひとえに「独りで生きる強さ」の隔たりである。

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