2005/ Mar _ 16

ミッション・ステートメントがない。

それぞれの養成機関では4月からはじまる新期生がきまり、受け入れ準備に入っているだろう。

「手づくりクツブームですね」とメディアの取材で問われるが、

たしかにクツをつくってみたいと思っている人は、多くなっている。モゲのディヤーズは今250人ほどい

るが、その上、欠員まちの予約の人も満杯になっている。その意味では「ブーム」と云える。

この人たちは、自分で手をかけたモノを暮らしにとりこむコトを「良し」としている人たちで、15年も

つづけている人もいるが、別に仕事にしたいと思って来ているわけではない。

一方ては、クツづくりを仕事にしたい人の「靴の技法を手わたす養成機関」のブームがある。

毎年、増え続けている。

いつも云うコトだが「より良く生きるコトができる技術でなければならない」とすると、「より良く

生きるきるコトの出来ない技術はつたえるべきではない」となる。

この自覚が、この養成機関ブームにあるかと云えば、「否」と云わざるを得ない。

これらの養成機関は、今どこにいて、どこへ行こうとしているのか。その技術の現在

位置が見えてこない。

養成機関は、現在位置をわざと見えにくくして、「ブーム」と云う上澄みだけで煽り、その情報に染め

上げられ操作されているコトに気がついていない人につけ込む面白おかしい劇場ではない。

勿論、自分で考えるコトができず情報を鵜呑みにする人にも問題がある。

「漏斗」を思いうかべてほしい。上が広がっていて下がすぼまっている液体を注ぎ込む道具。

先物買いの勧誘のごとく、人集めの策をつくし集めたトコロで、仕事につける間口は狭い。

現実に注ぎ込まれる現場、業界は衰弱しきっていて仕事場は先細り状態にある。

今、養成機関の大方は、この破綻している仕組みを目隠して、業界にしか通用しない既製靴の規格技法

を手渡しているコトになんの疑問ももっていない。

場面は反転している。

多くの養成機関が加担している、「モノ」の豊かさだけにとらわれている大量生産、大量消費、大量破

棄の市場主義から離れ、見失った何か大切な「コト」を見つけだす、あらたな技術を創りだす時にきて

いる。

今、モノをつくるコトが問われている。

新しい技術とは、もう一つの社会、もう一つの生き方、個として自由に機能する「生きぬく技術」でな

ければならない。

今、養成機関に求めるコトは、価値は何かを考えぬき、その価値が社会にとって、独自的か、先駆性

があるか、公益性が共なっているか、またその考えが社会にたいして、真っ当できる機会とその能力が

あるか、社会と人の在り方を変革する「ミッション = 使命」を基軸にした「生きぬく技術」なのだ。

私たちの社会は、あまりにもミッション・ステートメントがなさすぎる。

多くの社会問題はこのミッション・ステートメントのなさが起因している。

あるのは市場中心のあくなき欲望の赴くままにふる舞うステートメントだけが氾濫している。

自立、連帯し共生する「技術」。顔の見える領域で、

シゴトの自立。
 
精神の自立。

個の自立。

私は、すべてを手に託し「人と技術と共生」をミッションとして、これからも、

この仕組み(コトガラ)をカタチづくっていく。

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