2005/ Mar _ 14

思わず買ってしまった。

「一(はじめ)」というお茶の銘柄の発売キャンペーンのプレミアムに、

田舎のジオラマフィギュアがついていた。思わず「おまけ」6種、6個買ってしまった。

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この風景は、私に焼き付いている日本の原風景だと思っている。

この風景が日本の本当の姿だと今でも思っている

身体の奥底に沈殿しているこの心象が、バブル期を受け付けなかった。

「そんな馬鹿なコトがあるわけがない」時代に合わせるコトを良しとするが、気に入らな

い時代は思い切りこちらから蹴飛ばせばいい。

バブル期の狂騒に背を向けて手づくりクツへ向かった。

国家予算の80%が軍費、絹の輸出で戦艦大和をつくった国である。

戦前の庶民の暮らしは貧しく食事は一汁一菜、バナナ、アイスクリーム、チョコレートなどは、

目がつぶれるかと思うほど眩しかった。

みそ、醤油、米、塩、油、酒などは今みたいな売り手の都合のパッケージングで欲しくもない

量まで買わされるのでなく、それぞの収入に応じて秤買いができ、始末は月末〆という具合で

貧しかったが、自分の身の丈に暮らしをあわせ、むしろ心豊かな暮らしだった。

よくビンや鍋をもって「萬や」に走ったものだ。

もう一つの豊かさは、町には手仕事を生業いしする家がたくさんあって、暮らし間のとりかたが、

手でモノをつくる間にあわせた暮らしにあった。

ちよっと町から外れるとこのジオラマフィギュアの風景につながっていた。

私が12歳位のとき、人口が5千位の半農半漁の小さな町で暮らしていた。

朝早く縄を一本、片端をタンコブ結びにして漁港に向かう。威勢のいいかけ声と大漁旗をたなび

かせ漁船が帰ってくる。

漁は木箱で陸揚げされる。どうしても魚が木箱からこぼれ落ちる。漁師は箱からこぼれ落ちた

魚は自分のものでは無いという気っぷがあった。

「おじさん貰うよ」と一声かけて、魚のエラに縄を通し、食べる分だけ家において、

いつもの白い村道を山へ向かう、顔見知りの農家のおばさんに声をかけ、魚とジャガイモ、タ

マネギ、人参、大根などと交換した日々がよみがえる。

これが思わず「一(はじめ)」を買ってしまった理由である。

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バブル期のもう一つの思い出は、当時ディヤーズに在籍していた人(男)が福島の白川あたりに、

江戸末期の廃屋に近い茅葺き農家に手をいれて、なんとか住めるようにしたので来ないかと誘

われ何度か訪れた。

「男40にして自分の顔に責任をもて」という言い方があるが、近頃の高度管理社会は温室みた

いなもので、温室育ちのふやけた顔に責任をもてと云われても持ちようが無い。

顔に責任がもてるのは、自然に耐えて風雪を顔に刻み身体で働く「農」と「漁」人たちだろ

う。

今の都市の生活は温室ゆえに身体は鈍感そのもの、その人たちがこの[場]に放り込まれると赤子同然

白川の寒村での暮らしは温室育ちの人にとっては過酷そのもので手も足もでない。

今にして思うと、自然と暮らしとのかかわりは、すべて身体で感じとり、身体で考え、身体が

働かなければ暮らしはなりたたない。

この地の暮らしは「火」を生かす手だてを知るコトから始まる。

幸いにも私の世代は、なにも無いトコロでも暮らしをたてる「すべ」を多少なりに身体を通し

ている。「火」のあつかい、「水」は湧き水を桶に天秤で運ぶ。桶二つ天秤の揺れと歩調を合

わせる均衡は快感である。

きびしい土地の暮らしは身体を息づかせる。それと比べるとスイッチのon、offですませる暮

らしは身体を衰弱させ、暮らしの身体能力を退化させている。

退化に歯止めをかけるのが手の復権だと思っている。

ひよわな温室育ちの人たちに混ざると、この地では私は英雄になる。

薪割り、竃の火つけ、竃でのご飯たき、囲炉裏の火のまかない、みんな12歳のときに身体につ

けたコトガラだ。

この家の持ち主のおばさんが古漬けの沢庵を持って竃にやってきた。「あっぱれ」とほめられ

るが話をかわすと同世代で納得される。

ここまで奥地にくると治外法権 ? 自家仕込みの「ドブロク」をもって夜、地元の若い人が

集がまってくる。

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その「ドブロク」で次の朝、縁側で沢庵を肴に雪見酒(本当は下戸)と洒落こむ。

まことに絵になっている。

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私が農的クツ職人に惹きよせられていくのは、この幼い頃の体感、つまり暮らしは身体の働きを闊達に

しなければならないという思いこみなのだろう。

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