2005/ Mar _ 12

「はじめに・」おわり

今まで に度々、「モノを売るのでなく、コトを売れ」と云ってきた。

靴をモノとして技芸をつくすか、クツは暮らしのコトガラをカタチにするか、前者は既製靴を指し、

後者は手づくりクツを指すが、わかりやすく云うと、靴をつくる特別な技能があるので、自分の手で

靴をつくりたいと云う人に、「素人に靴なんかできるわけないよ」といって、つくり押しつけるか、

「自分でつくりたいのなら、つくり方を教えるからつくってみたら。自分で履くクツは自分でつくるの

がいちばん」とするかの違いになる。

モノとお金の交換だけのかかわりにするか、

モノをつくるコトガラを共有し、自分でクツをつくる人たちとのかかわりを深め広げていくか、どちら

のかかわりが、手づくりクツ現在置と云えるかわかるはずだ。

手づくりクツと既製靴の属性をチャートにして見ると、その違いがさらに浮き彫りになる。

chart_20050312

なかなか理解されないのは、手づくりクツは「売りモノは一切つくりませんよ」と云うと、売りモノを

つくらないで、どうして仕事になるの ? となる。

売る前提でつくると、関心事はモードだトレンドだと大騒ぎをして、ワンシーズンでショーシカットす

るモノを急いでたくさんつくり、伝統だ、古典だ、と喚きちらしブランドロイヤリティをたかめる虚構

に血祭りをあげ、既存の市場での功名をいかに勝ちとるかの繰り返しをいつまでもつづけている。

手づくりクツは、売る前提でつくらない。必要とする人が必要な分だけつくる。

関心は、暮らしの用美で普遍性に価値をもとめスローでロングレジネンスな暮らしを願う。

用美の表出は、暮らしでの個の美意識や感性の領域で、作家と自称する人のかかわるコトではない。

おこがましいと云いたい。身のまわりの用具をみんな自分の手でつくるコトになったとしたら、作家

の出る幕はない。

見学にきた人に、仕事は何をやっているのですかと問うと、「私は生活雑貨の企画にたけていて、その

能力のない人たちの暮らしにを、少しでも愉しくしてもらいたいので色々つくっています」

と答えが返ってきた。

多かれ少なかれ作家の高見にたつ姿勢はやりきれない。その姿勢は功名心とか有名性を求める

からにすぎない。

手づくりクツは、地方区で永劫に無名を本分とする。功名を願うなら既製靴の世界に引っ越しをしなさ

い。手づくりクツは人との距離をいかにつめられるかをシゴトの要にするが、既製靴はいちばん遠い距

離での仕事になる。

手づくりクツは一人称だから本音(ドキュメント)でシゴトができる。

既製靴は三人称だから束ねるコンセプトワーク(フィクション)となる。

手づくりクツと既製靴は、技法も技能も頭から尻尾までこんなに違う。

この辺で養成機関は既製靴科、手づくりクツ科とわけるべきではないか。

今春、また新しい養成機関ができるがHPでみる限り手づくりクツの道筋は踏んでいない。

今日の出来事。

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新潟のひふよ靴工房の斉藤美加子(5期生)が久しぶりに訪ねてきた。少し郡部にはいった所なので、農的

靴職人の道について話あった。

050312_2

江口克司(6期生)からいつものミカンがとどいた。実家の庭のミカンだそうだ。栽培モノと違って野

生のモノは味に力がみなぎっている。モノはこう在りたいものだ。

050312_3

夜、福地一哉(14期生)の壮行会、原宿の「鳥良」でワークアップの同期生と祝う。

福地は11期生の倉科徹郎の後をおって(株)アシックスに入社、今月、神戸本社に赴任する。

福地はワーカーズの説明会のときに、先輩OBの話のなかに倉科の話がでたのを聞いて

自分も同じ道を願いその通りになった。これからもこの道につづく人がでいくるだろう。

倉科はスポーツ工学研究所の健康シューズ開発チームに属し年いちど「靴の医学会」の年次総会で会っ

てっている。

ワーカーズのOBたちが各々自分の世界をつくりあげていくのは嬉しい。

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