2005/ Mar _ 05

玄関展

手づくりクツは、より良くいきるコトができる技法でなければならない。

今までくりかえし述べてきた。

「売る」前提でつくる既製靴は、大きな資本をかけるから 何よりも「売れる靴」 つくる、

このコトが至上命題または市場命題とした総合技能または合理分業の技術体系と云って良いでしょう。

手づくりクツは 「個」 つまり一人称の 「シゴト = 私事」 であり、

既製靴は、「集団 」 つまり三人称の 「仕事 = 仕える事」 になる。

よく手づくりクツと云って分業で手分してつくり三人称の仕事なのに、

一人称 「冠 =ブランド」 で語るのは手縫い革底靴では当たり前だが、これも仕事のうちだから否定は

しないが、しかし 「手づくりクツ」 と云ってはいけません。

手づくりクツは、あくまで一人称のシゴトだ。

なぜ一人称でなければならないのか、

既製靴は身体差異を考慮してつくる技法でなく、規格に準じてつくる技法だから三人称でいいが、

手づくりクツは、

個別の身体差異を手の細やかな気配りで 「足思手考」でつくらなければならないから一人称なのだ。

そうでなければ手づくりクツの意味がない。

手づくりクツは一人称のシゴトだから、つくるクツの数は知れたもの。

既製靴は量産、量販市場の要求に答えるためには、多量の靴を供給しなければならない。

だから手づくりクツは 「売る」前提の量販市場ではシゴトは成り立ない。

このトコロの認識が甘いから「靴はつくれるが仕事ができない」 靴難民が年々ふえてくる。

定量市場(数の世界)の仕組みは、シーズンプログラムに合わせて迅速に需要に応じた数を供給する

技能が必要だからシューデザイナーの役割がある。

わからないのは、手づくりクツの技法を取得するシューデザイナー志望の人がいる。

シューデザイナーは、既製靴の分業合理の一つの役割で、自分の手でクツをつくる技能があつても、

その技法を活かせる トコロでない。

よく手づくりクツの技法があれば既製靴に活かせると云う人がいるが、

既製靴と手づくりクツは同じ靴と云っても対極にあり、似て非なるものだ。

なぜデザインが必要か、ひとことで云うと量をつくるからである。

近頃は美系の専門学校や大学出の人がシューデザイナー志望でなくシューアーチザン志望の人が多く

なっている。

この人たちは、アートとして表出を手づくりクツにもとめ作家を志す。

ここで考えなければならないのは、手づくりクツに作家性が必要かと云うコトだ。

日本ほど、美系の学校の多い国はない。ものになる人は少ないが、

絵心があるとチョットやってみようと気軽に入ってくる。

そして自分本位で、とるに足らないモノを創作と打ってシーズンごとに「○○展」と

云う新作受注会で仕事をとる。

送られてくるカードには、「ドーダまいったか」と云わんばかりに美系の学歴、輝かしい職歴、

何か賞でもとっていると太ゴジで強調してある。これって既製靴のやり方だ。

あわよくば手づくりクツを足場にして既製靴市場へ参入したい思惑が透けてみえる。

既製靴業界の催事促進策で、作家 = デザイナー志望の人たちを取りこみ彩りをそえている。

それだけのコトだが「若手の育成」とつけ加えるコトを忘れない。

本当にそう思っているなら、もっと根源的に長期策として相互にとりくまなければならないはずだ。

手づくりクツで作家を気取どる人は、所詮既製靴市場に取りこまれる以外に「生きる」道筋しかない。

作家を気取る人に問いたいのは、

あなたたちがよく云う「アート」って、どう云う意味合いでつかっているのか。

私は、アートは「生きる技術」と受けとめ、より自由に生きる表出だと理解している。

とすると、おいそれと 「○○展」は出来るはずがない。

art が artisan から近代分離したコトを見ても、アートが「生きる技術」、

手づくりクツは、もとより「より自由に生きる技術」とするから同根なのだ。

問題はつくる技法を自由により良く生きる技能にする仕組みをどうつくるかだ。

振り出しに戻るが・・・もういちど繰りかえす。

より良く生きるとは、その技法に自分の想いを重ね、より深く広く人とのかかわり、

より良い暮らしとは何たるかを、感じとるコトだと思う。

手づくりクツは「共に生きる」共生の技術だ。

だから、手づくりクツは 「「売る」 前提でクツはつくれないし、つくらない。

今は、あまり使われないが、手づくりクツは 「生業=なりわい」という表現の方が合っている。

「生きる技」と言いかえても良い。

私は、手づくりクツの技法で、自発自在にシゴトをする技術体系をつくりあげた。

集まる [場所] を創る。

共に感じる [時間] を持ち、

つくる [過程] を共有しながら、

人とともに自分が在るコトを実感する。

そのコトガラに人が集まり、集まった人たちに支えられ、強く、深く、広がる。

手シゴトはつくづく「共生の技術」なんだとさらに想いを深める。

手づくりクツは、なにも「○○展」と気張るコトではなく、

自分の時間を取りもどし、日頃の暮らしを生き活きする感性を育むコトだと思う。

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左の写真は、[Arne] の9号のカバー、高田喜佐さんの葉山のセカンドハウスの玄関、

右の写真は、あるモゲ・ワーカーズのOB住まいの玄関。

喜佐さんはデザイナーズ [Kissa] ブランドを主宰している。

玄関に並んでいる日頃履きは、その人の暮らしぶりの輪郭を際立たせる。

私は、つくり手が「売りたい」「ことさらに魅せる」といった「装いゴト」は暮らしとは

無縁のコトと思っている。

だから本当に見たいのは、つくり手が履いているクツだけで、

どうだマイッタカと気張る「○○展」でなく、

自分で手がけたクツに囲まれた暮らしの「玄関展」だけが手づくりに相応しい。

OBの関口善大が訪ねてきて手づくりクツの技法談義をのべ3時間にわたり話あった。

ワーカーズのOBたちも、何年経っても、このような談義をもつコトは必要だ、

今日は、博報堂のCM・OB会があったが、別件の所用のため欠席する。ザンネン。

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